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甲板で素振りをする龍景の後ろ姿は、夕陽に映えてくっきりと浮かび上がっていた。兵士たちが仕事をしながらも珍しそうに彼の様子を気にしている。
 
 
 (龍景も、江と同じだ)
 
 
 異性のみならず同性も惹きつける魅力を持っている。
 龍景は家出をして冒険者なんてやってるけど、彼のような賢く思いやりがある人こそ国の政治に関わって欲しい。
そう思ったりもした。
 
 
 「江が…シュトイド国の皇子…」
 
 
 仰向けに転がると、カモメたちが家路を急いでいる。
 シュトイドの遣いでやって来たあの金髪の男は、おそらく彩牙が龍景に対して思うように、江に期待しているのだろう。
 国に帰って、シュトイド国のために働いて欲しいと。
 
 
 「っつーか、皇子が隣国で冒険者稼業って許されないだろ…」
 
 
 眉間にしわが寄る。不安で胸がいっぱいになる。
 
 男同士で、国籍も違って、身分も違う。
 常識的に考えて、こんな恋は不毛だ。
 
 
 「…彩牙」
 
 
 聞き慣れた足音と、心地良く耳を撫でる声。
 身体を起こすと、江はそっと腰を下ろした。
 
 
 「あの人との話は、終わったのか?」
 
 「あぁ、明朝にはヤトマの港に着くそうだよ」
 
 「よかった。蓮飛を少しでも早く助けなきゃいけないもんな」
 
 「…皮肉だね。国の軍艦のおかげで、普通より早くヤトマに乗り込めるなんて」
 
 
 てきぱきと決められた作業をこなしている水兵たちを見やり、江は苦笑した。
 彩牙は彼の方に顔を向けずにいたが、雰囲気でそれが分かる。それぐらいには、彼の事を知っていた。
 
 けれど。
 
 
 「彩牙……ごめん」
 
 「………。」
 
 「何も、話していなくて」
 
 
 そっと視線を送ると、彼はその秀麗な顔を自虐や呵責のような、泣き出す一歩手前のような、マイナスの様々なものが混ざって、複雑に歪めていた。
 
 彩牙の胸が、きゅぅっと締め付けられる。
 そんな顔をさせたい訳じゃない。
 
 
 「江…、江は、どうして、国を出たんだ…?」
 
 
 深呼吸して落ち着いた声を引き出すと、彼は少し目を伏せてからこちらを見つめ直した。
 
 
 「幼い頃から、王室で様々なことを学ばされた。教養を身につけるため、いずれ為政者になるために。剣術などの軍事的なことも。でも……それだけで。自分の意志なんて関係の無い世界だった」
 
 
 まるで籠の鳥。
 
 上流階級の生活なんて、彩牙には想像もつかない。
 彼の過去の苦しみに共感できず、彩牙はその距離に寂しさを覚えた。
 
 
 「それで…ハイアンに?」
 
 「………いや、違うな」
 
 「えっ…ぅわ!?」
 
 
 頷こうとしていた江は、自嘲めいた溜め息を吐いて、彩牙の腕を引くと甲板に転がった。
勢いで彼の胸に顔が埋まる。
 今までの他人行儀に張り詰めていた空気が、吹き飛んでしまった。
 
 
 「自由を求めてなんて、格好良いものじゃないよ。本当は、私は、逃げ出しただけなんだ」
 
 
 見上げると、いつもの江の柔らかい苦笑があった。
 
 
 「私には優秀な兄がいてね。彼は王になることを覚悟している人だったから…あの国に、私の居場所など無かったんだよ」
 
 「でも、リヒャルトさんは」
 
 「確かに、彼のように私を慕ってくれる人もいた。けれど、私は兄を尊敬していたから、兄と王位を争いたくなかった。ならば、いっそのこと…」
 
 
 すべてを捨てて、異国へ。
 
 
 「やっぱり、江は凄いな」
 
 「凄くなんてないよ。実際、ハイアンに来て驚くことばかりで。最初は、龍景より世間知らずが酷かったんだ」
 
 「ううん、凄いよ。自分の将来を考えて、決断したんだから」
 
 
 少し恥ずかしそうに遠い目をする彼に呟く。
江の瞳が少し丸くなった。
 
 
 「ありがとう、彩牙」
 
 
 愛おしむような甘い響きで囁かれ、場違いに胸の鼓動が跳ねる。
 この温もりが愛しくてたまらない。
 いつか離さなければならない時が来るなんて、考えたくないし、信じたくない。
 
 
 「彩牙、私は国には帰らないよ」
 
 「!」
 
 「私は、彩牙を手放す気はないから」
 
 
 抱き締めてくる江の腕に僅かに力が加わり、彩牙の頬が熱くなる。
 
 
 「それでも…もし、万が一、国が私を求めるのなら、戻ってもいいかと思ってる。ただしその時は、彩牙、キミも一緒だよ」
 
 「江…」
 
 「彩牙、キミを手放すくらいなら…私は王位を捨てて、ハイアンに骨を埋めるよ」
 
 
 涙が、出そうだ。
 
 これではまるで。
 
 
 「…プロポーズ、のつもりだから。」
 
 
 正式なものは、また今度。
 
 そう言って微笑む彼の胸に、彩牙は赤い顔と涙をを隠した。
 
 
 
 
 
 
 
 レックスに連れてこられた部屋には、懐かしい白檀の香が焚きしめられていた。
 地下なのか、窓は無く、どことなくひんやりとしている。
中央にある御簾に、蝋燭の光に照らされた人影が現れた。
 その傍らには、あの黒頭巾の呪術師が置物のように控えている。
 
 
 「そなたが、大陸にいた陰陽師か。名は?」
 
 
 ゆったりと鼓膜をなぞる厳かな響きをもった声が、御簾の向こうから届く。
 
 
 「周防蓮飛(すおう れんひ)……」
 
 「周防…。聞いた名だ。宮仕えしていた一族の者だな」
 
 
 蓮飛は答えなかった。
 そんな遥か昔のことなど、末裔である蓮飛にはあまり関係のないこと。
 
 
 「部下の非礼を詫びよう。そなたを連れ出す予定ではなかった」
 
 「そんな事はいい。それより、あんたらは本気で戦争を起こすつもりなのか?邪な鏡で魔物を暴走させたり、各地の遺跡を汚してまわったり、彩牙を攫おうとしたり、何のために…」
 
 「口を慎め!貴様、帝(みかど)の御前で…!」
 
 
 それまで人形のように突っ立っていた少年が、激昂する。
金の瞳にきつく睨まれ、蓮飛は口を閉じた。背後のレックスは傍観を決め込んでいるようだ。
 
 
 「答えられぬ問いばかりだ。…しかし、そなたがヤトマに帰るというならば、答えてもよいが」
 
 
 落ち着いた蠱惑的な男の声は、蓮飛の心を揺さぶる。
 どうしようもなく懐かしく、切なくなった。
 
 
 「鬼目を持つ陰陽師よ。ヤトマとハイアン、双方から忌み疎まれてきたであろう。私が天下を治め、そのような差別の無い、平和な国を築きたいと思っている」
 
 「帝…まさかこの者まで与するおつもりで…?」
 
 
 ローブの少年が、少し焦ったように御簾に駆け寄る。
 御簾の向こうの影が揺れた。頷いたようだ。
 
 
 「…俺は」
 
 
 ──「蓮飛さんは、蓮飛さんのままでいいんですよ」──
 
 
 (ちっ、なんでアイツばっか思い出すんだよ)
 
 
 気だての良い年下の青年の微笑みが、瞼の裏に映る。
 ヤトマとかハイアンとか関係ない。
 国境で区切る必要はない。
 
 
 
 「俺は、アイツらの味方だ」
 
 
 「………鍵、か」
 
 
 彼らは彩牙を鍵と呼ぶ。
 彼が秘める精霊と関わる力と関係があるのは間違いない。
 
 
 「鍵と共にあるか。ならば、そなたもいずれ我らに降る事になろう。…鍵は、必ず私の手の中に堕ちてくる」
 
 
 自信に満ちた声色に、背筋に悪寒が走った。
 
 
 
 
 
 
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