62話「 蒼の風 」






大樹に守られるよう抱かれて眠っていた子竜。
間違いなく、この子竜から「声」がする。
声はどうやら「いつも通り」自分にしか聞こえていない。

でも、今までのように苦しんでいた魔物達のような悲痛な声ではなく、 暖かく歓迎するような優しい響き。
彩牙は恐る恐る手を延ばし、その鱗に触れる。

すると、子竜はまるで甘えるように彩牙の手にもたれ、小さく鳴いた。


「…可愛い…。」

「彩牙?…それは…ドラゴンかい?」


小さく呟いて優しく撫でていると、その様子に気づいた江が覗き込み、驚いたよ うに声を上げると、それを聞いた龍景と蓮飛がやってくる。


「本当だ…小さいけど確かにドラゴンですね。こんな北の地にいるだなんて珍しい …。」


ドラゴンは基本的には寒さに弱い生物だ。飛来するのは夏場の上、この辺りで出 産は滅多にしない。


「見事な蒼の鱗だな…まるで青龍だ。」

「青龍?」

「ああ。四神信仰の中で言われる東方を護る聖獣だ。空を翔け風を操り、雲を呼 ぶ。」


蓮飛がごそごそと鞄をあさり、一冊の本を取り出す。
パラパラとめくり、とあるページで止まる。


「これが青龍。実際は身の丈が人と比較してこれだからな…。 もしこの龍が青龍としたらまだまだ小さいな。」


その本の挿絵には雄々しく体をうねらせている龍の上に、本当に小さく人が描かれている。
もしこれが本当の縮尺なのだとしたら、どれほどの大きさか想像するにも大変だ。


「キュゥイィ…ッ」

「おや、鳴いたよ?ひょっとして…小さいと言われるのが不服なんじゃないかな?」

「言語が通じるのかよ。」


驚いたように言う蓮飛に、再び鳴き声をあげる青龍。
返事にしか聞こえないその鳴き声に蓮飛は肩を竦めた。


「…なぁ、こいつ、連れてっちゃダメかな?」


予想だにしない彩牙の発言に、三人は目を剥く。


「彩牙、犬や猫を飼うのと訳が違うんだから…。」

「旅の間危険な事だってあるし、この子があの変な鏡の影響を受けないとも限らないよ?」


珍しく気が合い、龍景と江が一緒に否定の意を示す。
けれど、彩牙は引き下がる気はなかった。
また心配をかけるかも知れないと思ったが、龍に話し掛けられていたことを言うべきかもしれない。
一応、「夢で」と付け足しておく事にした。嘘は言っていないけれど、少し気が引ける。


「でも…夢で見たんだよ。この龍が話し掛けてきたのを。」

「夢?」

「うん。…この龍に間違いないよ…この子を見つけたのも、声をかけられた気がして、ここを見たんだ。」

「また声…か…。」

「あっ、ええと、でも今まで聞いた感じの声とは違うんだ。何て言うか、優しい…落ち着く懐かしい感じで。」

江の低い呟きに、彩牙は慌てて訂正する。
ついつい正直なところを喋ってしまったが、今更ごまかすことは難しい。
すると、意外な人物が賛成の意を示す。


「なら、連れていくといい。」

「蓮飛。」

「言っただろ。青龍は風を操る…聖獣だ。彩牙はどうにも『風』に所以があるみてぇだからな。 悪いものの感じがしないのなら、彩牙にとってはいいように働くと俺は思う。」


蓮飛の言葉を聞いて、ぱあっと彩牙の表情が明るくなる。


「蓮飛っ、ありがとう!」

「ぉわっ!いきなり抱き着くな!…ったく…」


じゃれつくように抱き着いた彩牙に文句を言うが嫌がっている訳ではなく、 そのまま優しい目線で彩牙を見る蓮飛。
それを見て大きく嘆息したのは龍景。 しかし、その表情は優しく穏やかだ。


「…仕方ないですね。ここは折れておいたほうがいい気がします。」

「そのようだね。まして彩牙のあんなに弾けるような笑顔を曇らせたくはないし。…龍景も、そうでしょ?」

「…ノーコメントですっ。」


やはりいつものようにからかわれている龍景は、今回は何とかそう言って躱す。
本気で対峙したら、確実に江が勝つのは火を見るより明らかだ。


「…あーっ!」

「な、何したの蓮飛、いきなり大声を出して…」


突然、蓮飛らしからぬ大声で叫んだ様子に、一斉に三人がびっくりして振り返る。
そんな驚きすらも気に留めない、興奮覚めやらぬ蓮飛は三人を手招きする。


「この大樹の下!ちょうどこの籠になってる下に石版がある!しかも綺麗そうだ!」

「えぇっ!?」


しかし、そこはまさに籠のように木の根や枝葉が複雑に組まれていて、切るのには忍びない自然の造形があった。


「えっと…どうしましょうか。」

「…多少切るしかないだろ。この龍には悪いが、ちょっと切らせて貰わないと読めないからな…。」

「ごめんな。木もまたここに籠を作ってくれるといいんだけど…。」

「俺は樹に関しては詳しくないから何とも言えないな…。」


申し訳なさそうに言う彩牙に、がしがしと自分の髪を掻き混ぜて蓮飛が肩を竦める。
すると江が枝の様子を丹念に見ながら、


「うまく切ればまた元のように戻るよ。ただ、少し時間がかかるのは仕方ないけどね。」

「そっか…なら大丈夫かな。この子も家が無くなったら寂しいもんな。」

「案外、戻る頃にはここじゃ足りないくらい大きくなってたりするかもしれないですよ?」


励ますように茶化しながら言う龍景に、微笑みかける彩牙。
彩牙の短刀を拝借し丁寧に木を切っていく江。徐々にあらわになる石版に目を懲らす蓮飛。


「どう?蓮飛…。」


多少木は絡まっているが蓮飛が解読できるところまで切った後、 沈黙に耐え切れず、彩牙がそっと話し掛ける。
すると蓮飛は首を振り、


「…違う。」

「え?」

「俺らが持ってる石版と内容は違ってる。ほら、文字の配列が違うだろ?」


これまで既に解読した一列と、同じぐらいの箇所にある文字は 彩牙には何が書いてあるのか分からないにせよ、文字の形が明かに違っているのはよく分かった。


「…本当だ。」

「じゃあ、その石版には何て?」

「…其は司りて纏わん、蒼の衣。音は四方(よも)を駆け、其は風を招来す。 風が求めにより遣わしたる眷属、自在にて風ぞ加護を受けん。 …風の思し召しのままに、青きに臥して風を待つる。」


ヤトマ語の難しい言い回しに、皆黙りこくる。


「…えーっと、俺、ヤトマ語わかんない…。」

「私もヤトマ語は専門外だよ。」

「俺だって蓮飛さんみたく長けてませんから…しかもヤトマ語でも古い言い回し ですよね?」

「あぁ。もしかしたらこの石版よりも時代が遡るかもな。 …多分、俺が読むに、正しく彩牙は選ばれたんだよ、この龍に。」

「え?」

「風を呼ぶために声を上げ、風に加護を与えて、風を待つ…。 ここでいう「風」はおそらく自然現象じゃなく、こいつの主に当たる人物を指 すんだ。」

「つまりは、呼んだ声に反応した彩牙が風…主人という事かい?」

「あぁ。…本当に、彩牙は何かと風に縁があるな。とりあえず、この石版も写し ておくか。」


蓮飛が書いているうちに、奥にあった小さな部屋に、石板を発見できた。
しかし、その石板も相当に欠損が多く、読み取れない個所も多かった。


「で、肝心なこっちの石版の手掛かりと言えば…。」

「…また謎掛けみたいだな。」


蓮飛が今回読み取れたのは、また違う箇所の一文だった。
『鳴神の戯れに芽吹く。』


「…うーん…地名なのか、別の事なのか分からないね。」

「俺の考えとしては、おそらくこれは地名だと思う。」

「私もそう思うよ。今まで読み解いた中のここだからね…関連性が強い気がする。」

「だとしたら…今まで行っていない所…セイシュンですかね。」

「セイシュン…可能性は高いな…もしかして、鳴神はまんま青龍の事か?」

蓮飛が閃いたかのように言うが、すぐにふっと表情に影が差す。


「蓮飛、大丈夫なのかい?」

「…ああ。ここまで来といて今更退けるわけないだろ。」


暗黙の了解があるような江と蓮飛の口ぶりに、彩牙と龍景は顔を見合わせる。


「よしっ、英気を養うためにも宿に帰って飯食うぞ!」


少し不自然なくらいに声を張り上げ元の道に戻る蓮飛に、 彩牙は小さな龍を抱きながら心配そうな視線を送る。


「…そうだ。」


龍を見て、ピンと名案が閃く。
この龍の名前を皆で考えれば、少しは出発までの気晴らしになるかもしれない。





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by月堂亜泉 2009/07/20 up