ゆるやかな目覚めは、誰かが自分を呼ぶ声で訪れた。
夢と現の間でかすかに聞こえたそれは、小さな小さなな温もりを求める声。
『彩牙。彩牙。風の愛し児。』
『僕を見つけて』
ぱちりと目を開けると、端正な青年の顔が間近にあった。
「…江?」
「おはよう、彩牙」
にっこりと絵に描いたような微笑み。
「…なに、しようとしてた?」
「愛しい姫に目覚めのキスを、ね」
「姫じゃない!」
勢いよく跳ね起きて江を牽制すると、すっかり身支度を終えている彼は肩をすくめた。
それを見て彩牙は慌て始める。
「起こしてくれればよかったのに…もう時間だろ?」
「気持ちよさそうに眠っていたから。それに…」
「それに?」
「昨夜は激しくしてしまったからね」
耳元に甘く囁かれ、一気に熱が上がった彩牙は江を部屋から叩き出した。
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「やれやれ。うぶで可愛いんだから」
くすりと笑みをこぼし、まったく悪びれる様子の無い江は、食堂への道がてら龍景と出会った。愛用の大剣を携え、タオルを首から下げている。
「おや、こんな雪の中でも鍛錬かい?」
「まだまだ未熟者ですから。少しでも体を動かして温めておこうと思いまして」
「良い心がけだね」
江の形の良い薄い唇が、意地悪な三日月を描く。
「蓮飛を守るために?」
囁かれた言葉に赤くなって声を失う後輩を、江は微笑ましく思う。
小さく咳払いをして背を正す龍景は、普段よりも年相応に見えた。
「鍛錬中に宿の方から聞いたのですが、山の麓から不思議な声が聞こえてくるそうです」
「不思議な声?」
「えぇ、なんでも子供にしか聞こえないそうで…」
「それだな!」
突然割って入った声に目を丸くして振り返ると、朝風呂を堪能してきたらしい蓮飛の姿。
上気した頬が妙に艶やかで、龍景は慌てて目をそらす。
「その山の麓には遺跡らしきもんがあるって聞いたしよ。行ってみようぜ」
「そうだね。何か手がかりがあるかもしれない」
純情な若者に隠しきれない笑みをこぼしながら、江は頷く。
「よし、決まりな。腹減ったから、先に食ってるぞ」
蓮飛はスタスタと食堂に向かう。
その華奢な体のどこに大量の食べ物が消えていくのか不思議に思いつつ、二人も後に従った。
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雪を踏みしめながら辿り着いた山の麓には、深い森が黒く覆い茂っていた。
木々でトンネルのようになっている不思議な道を進んでいると、まるでおとぎ話の中に迷い込んだかのような気分になってくる。
彩牙は幼い頃、聞いた昔話を思い出した。
遠く遥か北にある白い大地。
たくさんの険しい山々がそびえ立っている。
その麓には黒い森。
薄暗い木々のトンネルを抜けるとそこには、幻の大樹が生えており、実がきらきらと輝いている。
そして、そこにはドラゴンが眠っている。
あぁ、そうだ。
父から聞いた寝物語だ。
ドラゴンが分からず首を傾げる自分に、「空を飛ぶ、優しくて賢い魔物のことだ。きっと彩牙なら仲良くなれるぞ」そう言って笑い、頭を撫でてくれた。
両親が消息を絶ってから思う。
父が語ってくれたお伽噺は、もしかしたらすべて…。
「なんだ?ここは…」
すべて本当かもしれないと。
突然ぽっかりと開けた明るい空間に出た。
両脇には門の跡らしき岩があり、緑の柔らかな草が茂る地面にもいくつか崩れかけた石たちが転がっている。
「ここが遺跡ですかね?」
「そのようだね。蓮飛、足元に気をつけて」
「わーってる。…やっぱヤトマの古代文字だな。にしても…」
駆け出して石を調べた蓮飛は、目を細めて上を見上げる。
そこには、今までみたこともないような大樹があった。
幹は全員で手をつないでも回りきらないほど太く、開けた空間いっぱいにその枝がたくましく伸びている。瑞々しい緑を湛え、北の地であることを忘れてしまうほど温もりある光で満ちていた。
きらきらと赤い色の実がときおり瞬いている。
『彩牙』
柔らかな風に乗って届いた呼び声は、今朝方の夢と重なる。
彩牙は吸い寄せられるように歩み寄り、見つけた。
「ドラゴン…?」
大樹の枝々が絡み合ってできたベッドの中に、抜けるような青空色の小さな子竜が臥していた。
その眼がそっと開かれる。
「キュウィイ…」
『やっと、会えた』
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