「蓮飛っ、龍景っ!」
駆け寄ってきた少年の顔は寒さによるものだけではなく赤らんでいた。
「龍景っ、怪我したのか…大丈夫か?」
「えぇ、何とか…蓮飛さんが処置をしてくださいましたし。」
後ろからは全員分の荷物をソリに乗せやって来る江の姿。
「無事とは言えなくないけど…。大事無くて良かったよ。荷物も犬ぞりも流されてはいたけど無事だったし。運が良かったね。」
話し掛けているのに、返事が特にない蓮飛に、怪訝そうな顔をする二人。
「蓮飛さん…。」
「龍景、何かあったのか?」
「…それは…。」
「とにかく、先を急ごうか。また雪がどこで雪崩を起こすか分からないからね。泊まれる場所まで行こう。」
江の提案にめいめいソリに乗る。
あれほど寒いと文句を言っていた蓮飛の声が聞かれない違和感に、龍景はただ胸が痛かった。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
コクトウ京までは入口に近い小さな邑に宿を取り、身体を休ませる事にした。龍景の怪我は大事ないとは言え、雪の深い慣れないこの地で、魔物と戦闘する冒険者の身にはハンデがある。
精神的にも憔悴している蓮飛を部屋で寝かせ、龍景に概要を聞き、真っ先に声を上げたのは彩牙だった。
「そんなっ…そんなのってありなのかよっ!?」
肩を震わせ、今にも泣きそうな程感情を高ぶらせる彩牙を、江はそっと宥める。
「俺だって信じたくはないですけど…でも、俺にはそれを否定するための確証は何処にもないです。ただ、幼い頃からそうなのだと聞かされてきただけで…」
「私としてもそうだよ。これまで生きて来て、そんな話は聞いたこともないし、ヤトマの人々だってそんな事知らないだろうね。」
あのレックスの発言は小さな子ですら知っている「常識」を覆すのだ。動揺は無理もない。
「蓮飛は、1番辛いよな…。」
彩牙の落とした呟きに、二人がはっとする。今回の旅に出て、人一倍「事実」を探したがっていた彼に突き出された答えがもしもそれなら、どれだけ彼の心をえぐるだろう。
「…大丈夫ですよ。蓮飛さんはきっと…。」
「龍景?」
「蓮飛さんは…今回の旅でいつも他人は放っておけみたいな発言をよくしてました。でも…本当は放っとけなくて…今回だって、あのレックスという男の処置をしましたし…。本人は、彩牙が怒るからなんて言いましたけど。」
ふっと表情を優しくし、蓮飛を想う。
「でも、人一倍、人が好きなんだと思います。でなくちゃ、いくら知識があるからってあの職業を選びませんよ。だから…ハイアン人もヤトマ人も恨んだりしません…寧ろ、俺がそう願っているだけかも知れませんが。」
苦笑と共に語尾が小さくなる。白い包帯に染みた血が茶色に変色している。
本当は赤い血なのに、時が経つと酸化して茶色になる。
「大丈夫。蓮飛はきっとそうだから。まぁ…だからこそ自分を責めてしまうのだろうけど。」
「それじゃあダメじゃないか。蓮飛が辛いことに変わりないっ」
「でも、蓮飛には私たちがいるだろう?」
え?と言いたげな彩牙と龍景のそっくりな表情に、江は楽しそうに笑み
「私達が、蓮飛の居場所であればいいのだから。」
「…ハイアンもヤトマも関係ない…蓮飛さんを蓮飛さんとして受け入れる場所があれば、歴史の事実はどうあっても、救うことが出来ると…そういう事ですね。」
「あっ…」
龍景の言葉にようやく合点のいった彩牙が声を上げて頷く。
「それはもちろん。蓮飛は何があっても俺らの仲間だよ。」
「良かった。彩牙の表情が明るくなって。蓮飛が起きたらその笑顔できっと癒されるよ。私のようにね?」
「なっ…何を馬鹿な事言ってんだよっ…!」
またいつものじゃれ合いを始めた二人。龍景はその様子を見ながら戸の向こう側の彼を思っていた。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
ヤトマ帝国の、ハイアンと西域諸国によって滅ぼされた原因は、侵略。
そう考えれば、色々な事象につじつまが合うことは確かだ。
独裁などという文字は、ハイアンでしか見ない。
例えばシュカで見た文献には、政治的不安が「書かれていた」。
栄華を誇り、繁栄を極め、独裁をし、内政が疎かならば、文献は政治的不安があろうと事実と逆行したことを書きやすい。
内政不安をごまかしたい政権の目論見が虚実を作るのだろう。
それがないのなら、独裁の事実のみ消すのには違和感がある。
そして、ハイアンが遺跡を遺していたのは技術やその富を根こそぎ頂くため。
「あの石版は…その事実を遺すためなのか…?」
だがそれならば、何故各所の地名が書かれているのか。
(やっぱりまだ失われた文字を探す必要はあるんだな…)
そう何となく考えを理性的にまとめると、緩んだ気の隙間から闇が頭を擡げる。
『ヤトマの血が流れているお前は、何の差別も受けずに生きてこれたか?』
赤髪の男、レックスが言った言葉に、何よりぎくりとさせられたのかもしれない。
ヤトマの血が流れているから、というだけでハイアンでは白い目で見られたこともある。旅をしていても、その服装を見てヤトマ人と見るや避けたり陰口を叩いたり…酷い時は宿を取るのを拒否される事もあった。
ヤトマではハイアンの血が流れているからと罵られ、虐げられた。ましてや片目だけ赤色の珍しい容姿。規律を守り、枠を好み、異質を嫌うヤトマ人からすれば奇異でしかなかった。
どちらでもありながら、どちらでもない。自分が受け入れられない苦しみ。
頭では分かっていても、慣れたつもりでも。
傷口は確かにあって、あの男の発言は塩だった。
「大丈夫。…大丈夫。思い出せ…あの時を。」
一人暗示のように口にする。蓮飛のよりどころになっている『あの時』。
唯一とも言える親友、彩牙との会話。つい漏らした瞳の色を嫌う発言を聞き、彩牙が発した言葉。
『俺の両親、たまに喧嘩したんだ。すっごいくだらない事で、俺の良いとこや悪いとこがどっちのかって…そんな事、二人ともから色んな物貰ってるし、色んな物が混じって俺なんだから、良い悪いはどっちのって決めることじゃないと思うのに。』
両親が大好きで愛されて育った彼には、ごく普通である事。
蓮飛にとっては青天の霹靂でもあり、この言葉を契機に彩牙は蓮飛の壁を破った。彩牙はおそらく気づいていないが。
「…あれ?」
心がようやく落ち着き、訪れる眠気の中ふと心に過ぎる、最近いつも何かと行動を共にする人物。
そして何故か、いつも自分を庇ってくれる。今回だって。
「そうだ…また後で治療してやらないと…」
だから過ぎったんだろうと理由をつけ、蓮飛は穏やかに緩い眠りに誘われていった。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
「…情けないな。」
洞穴の空気よりも冷ややかな声が降ってくる。
声の主が分かっているので、あえて目線は向けない。
「どの段階の事を言ってんだ?」
「全てだ。鏡を設置した後の魔物に襲われるのも、『鍵』たちに助太刀され、あまつさえ雪崩に巻き込まれ奴らに手当されるなど、帝が寛大でなくては貴様など今すぐ消されてもおかしくない。」
少し甘いはずの声はこんなにも淡々と冷ややかになる。その口撃に辟易し、レックスはもろ手を挙げる。
「へいへい、分かりました。そんなに畳み掛けるなよユディ。」
「我々に期待して下さっている帝に応えるためには当然だ。寧ろ少ないくらいだ。」
相変わらずの冷淡な口調で言い、身を翻しユディは闇に溶ける。
「それにしても…あの陰陽師、あんなに矛盾を抱えてる癖に、よく折れないもんだ。…不思議な奴だな…。」
美しい容姿で、不遜な様子だが何処か脆くも見える彼。
あの長身の青年が呼んでいた名を思い出し、口の端を吊り上げる。
「蓮飛、か…俺は風の愛児より興味が沸いたな…。」
レックスはぼそりと呟き、横たわったままユディと同じように闇へと溶けていった。
|