「江、……俺にできることは?」
「え?」
彩牙がひと呼吸置いて発した言葉に、江は少しばかり驚いたらしかった。彩牙は戸惑いながらも、江をまっすぐ見つめる。
「あいつらに捕まりたくないんだ。だから……江を信じる。俺は、どうしたらいい?」
ちょっとだけ丸くなった江の目は次第に笑みに細まり、彼は彩牙の腕をしっかりと己の腰に回させた。
「私を信じて、決して離さないで」
落ち着いた囁きに安心して、こくりと頷く。少し頬が赤くなってしまったのには、気付かないふりをする。
満足げに微笑んだ江は、流麗な動作で手綱をさばいて馬を反転させる。
「さぁ、姫君。共に招かざる客人をお迎えしようか」
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
『ゴール!!勝ったのはどちらだぁー!?って、あれ?孫・周防ペア、止まらない…!?』
「龍景…!?」
「ごめん、話は後で!」
困惑する雄翔に詫び、龍景は馬の腹にもう一蹴りしてどよめく会場を走り抜けた。
「おい、止まれ!どこ行く気だ」
「このまま回りこんで、彩牙たちに合流します」
「木曜星で飛んだ方が早い!だから」
「ダメです!」
言葉じりを奪うように発せられた厳しい声色に、蓮飛は思わず息を飲む。
「状況もわからないまま貴方ひとりで飛び込んで、一体何ができるんです?彩牙なら、きっと江さんが守ってくれています。
だから俺たちは、二人の援護になるように動くべきです」
「だけど…!」
「冷静になってください。普段の貴方なら、わかるはずです」
「っ」
ちらりと流された真摯な視線に、蓮飛は木曜星の呪文取り消した。
舌打ちして、苛立ちを龍景の腰にきつく抱きつくことで押さえ込む。
「アイツは特別なんだ。汚しちゃならない」
「…彩牙は、蓮飛さんが思ってるほど弱くないですよ」
「え?」
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気高く馬が嘶き、銃声が軽やかに響いている。
江の細く長い腕は巧みに手綱を捌き、銃を使って相手を翻弄させていた。
襲撃者たちは確実に疲弊してきている。
まるで闘牛士のような華麗な舞だと、彩牙は思った。
「ちょこまかと…!岩叙、何やってんの、早く距離を詰めなさい!」
「勝手な事抜かすな!そう簡単に」
隙をつける相手ではない。
男の眉間の皺を見てとり、唇を噛んだ女が馬の背を蹴った。
「来な、小娘!」
「うわっ!?」
鋭い鉄線の煌めきに彩牙は咄嗟に自分を守る背にしがみつく。
自分で防ごうと思った僅かな逡巡は、信じてくれと言った江の顔を思い出して打ち消した。
銀色の装飾銃が火を吹く。
彩牙が次に目を開けた時には、男女は共に地面に叩き付けられていた。
「何故、彩牙を狙った?」
ドスの効いた江の声に、こちらまで背中が粟立った。
「仕事なんで、言えねぇな」
「そうそう。俺からの依頼でね」
「!?」
「!…彩牙っ」
岩叙が冷や汗をかきながら力なく呻いた直後、若い男のふざけた声が間隙をついた。
江が振り向いた時には、男は彩牙の喉元にナイフをつきつけて後ろから体を拘束していた。
「囮役、ごくろーさん。」
「裏切ったわね!?」
「始めからこういう計画だったぜ?俺の中では」
くつくつとおかしそうに笑った赤い長髪の男に、江は見覚えがあった。
「風の神殿ではどうも。私の姫君を離してもらおうか」
江から放たれる本気の殺気に、彩牙は思わずどきりとした。
恐ろしい程に美しく、研ぎ澄まされた刄のような…。
「そう怒るなよ。このお姫さんはアンタだけのもんじゃないんだぜ?
ウチのボスのお気に入りなんだそうだ。おい岩叙、蘭玉、何してる。早くそいつを潰せよ」
「わ、わかってるわよ!」
「く…っ!」
江は襲いかかってくる二人に応戦するしかなくなった。さすがにベテランの江でも、同時に二人相手はきつそうだ。
「ボスって誰だよ?俺は誰のもんでもないんだけどな」
ナイフが擦れて僅かに血が滴る首筋に顔を引きつらせながら、彩牙は気丈に振る舞う。
その様に気をよくしたらしい長髪の男はげひた笑顔を見せる。
「俺はレックス。現人神(あらひとがみ)につかえる者だ」
「現人神…?」
「お前は神の傍にいるべきなんだよ、風の愛児(いとしご)」
「何言って…」
視線を必死に走らせると、防戦しながらも注がれている江の視線に気付く。
(ばか江…!自分の身を守れっつの!)
何もできない自分に泣きそうになる。そんな彩牙に構わず、背後の男はじりじりと後退していく。
「さて、来てもらおうか。あるべき主の元へ」
彩牙に嫌な囁きが届いた瞬間、閃光に覆われ肩に衝撃が走る。
「怪我はねぇよな!?」
反射的に瞑った目を開けると、友人の珍しく必死な顔があった。
助かったのも束の間、蓮飛に彩牙を奪われた男が取り押さえようとした龍景を振り払って、こちらに迫ってくる。
その様子を察した江と視線が合った。彼はレックスと名乗った男に銃を向ける。
その瞬間、レックスは踵を返した。
「江…!」
(狙われているのは江だ!)
そう思った時には、すでに身体か勝手に動いていて。
風が弾けた。
彩牙は蓮飛を振り払い、男の投げたナイフの雨と江の間に割って入ったのだ。
「彩牙、江!」
慌てて蓮飛と龍景が、倒れている二人に駆け寄る。
「これが…精霊の力…。ははっ、聞いてた以上だぜ。おい、お前ら。撤退するぞ」
突風に吹き飛ばされた男は無傷の二人を見て、畏怖のような魅了のような複雑な顔をして笑い、懐から手鏡のようなものを取り出した。
「待て!」
龍景が伸ばした腕は届かず、襲撃者たちは光に包まれ、消えていく。
その最中、ちらりとこちらを見た赤髪の男と視線が絡む。浮かべられた満足げな笑みに久方ぶりの恐怖を感じた。
「また迎えにくるよ、風の愛児」
「いとし…ご…?」
彩牙は意識を手放した。
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