レースの行われている広場から随分離れているのか、歓声が遠い所からわぁっと上がる。
龍景と蓮飛は爆発に巻き込まれてはいない。
今だレースのトップ争いをしているはずだ。
きっとあの二人に任せておけば大丈夫だろう、と江は踏む。
自分は愛しい人を守らなくては。
彩牙は、何が何でも。
心の中で江はしっかりと意思を固める。
「こ、江っ…どうするんだよっ」
「どうするも何も…私は彩牙を渡す気はないよ。」
きっぱりと言う江の表情は真剣で、彩牙は顔が紅潮してしまうのが自分で分かってしまった。
「抵抗しなけりゃ、痛い目見なくて済むんだぜぇ?兄ちゃんもな。」
「私が痛い目に?…それはどうかな。」
江はいつも通りの笑みを浮かべ、馬の手綱を捌きつつ懐に忍ばせていた愛銃を構える。
「おや、銃かい?命中率の低いそれで何しようってんだい?」
蘭玉はキャタキャタと甲高い耳につく笑い声を上げてそう値踏みする。
「私を撃てば役人方がすっ飛んで来てお兄さんを捕まえるだろうね。」
「どうだろうね…この街の人は相当な祭好きみたいだし…。祭で盛り上がっていて気付かないかもしれないよ?」
にっこり、と自信ありげに笑み、江は銃を構える。
ドンッと空気を震わせて飛んでいく弾丸。
「何処を狙ってるんだか!心の臓はそこじゃないよっ」
「確かに心の臓はそこにはないけどね…私は心の臓を狙うとは一言も言ってないよ?」
くすっ、と微かに笑うと、江の銃から放たれた弾丸は蘭玉の手にした鉄線の上を滑り、彼女の髪留めに命中した。
「きゃあっ!」
粉々になった髪留めは、キラキラと日の光を反射して散る。
その時、ギャラリーの歓声が沸き上がったのが聞こえて来た。
「彩牙!しっかり掴まってて!」
「う、うんっ!」
隙をついた江は馬を走らせ歓声の方と反対へ向かう。
「江っ、向こうが広場だぞ!?」
「分かっているよ。わざと離れたんだ。」
「どうして…っ」
「大丈夫。…彩牙は必ず守るよ。その為の作戦だからね。信じて?」
「ぅ…ん…。」
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
「な、舐めた真似してくれるじゃないっ!」
ヒステリー気味に叫ぶ蘭玉を制し、岩叙は顎に手をあてて考える。
「まぁ待て蘭玉。嬢ちゃんらはレースから離脱したんだ。掻っ攫うには好都合じゃねーか?」
「…なら早く追うよ!岩叙、飛ばして!」
「言われなくとも分かってるってぇの!」
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「っ!いってぇ〜!」
「蓮飛さん、大丈夫ですか!?」
後ろから聞こえて来た蓮飛の声に、気遣う龍景の声が少しぶれる。
「ちょっと小石がぶつかっただけだっ、飛ばせ!」
「はっ、はい!」
雄翔との差は半馬身。いつ追い抜かれてもおかしくない距離だ。
やはり領主の息子なだけはあって、馬の扱いも達者である。それにあちらは愛馬で参戦している。
飛び込みとも言える龍景達に分が悪いのは確かだ。
「絶対に負けねぇっ」
蓮飛の負けず嫌いな性格は短期間でもすぐ分かるほど強い。
いつもは冷たい色を映す双の瞳が、生気を帯び輝く。その様子が嫌いではない…むしろ好ましいと思う龍景だが、今は見つめられる状況にない。
「…木曜星、どうした?何かあったのか?」
蓮飛の周りに九曜星の一つである木曜星がやってきて囁きかける。
蓮飛がそれを聞くとみるみる表情が変わり、呟く声も掠れた。
それが紡いだ音は…
「…彩牙が…?さらわれそうになってる!?」
「えっ!?」
蓮飛の口から出た言葉に目を剥く龍景。
「どっ…どうするんですか蓮飛さん!?」
「どうするもこうするも…助けに行くに決まってるだろ!」
「でもっ…!」
普段なら人の助けになる事は率先する龍景だが、今はレース最中だ。
ゴールも近くスパートをかけたスピードでいきなり進路を変えては馬が驚き、振り落とされる危険がある。
勿論、彩牙も心配ではあるが、後ろの想い人の身に危険を及ぼすような事も出来ず困っているのだ。
「…俺だけで行く。」
「えっ…!?」
「木曜星に俺を彩牙の元へ運んでもらう。」
「大丈夫なんですか?」
ふと龍景は不思議に思う。
何故蓮飛は彩牙の事となるとこんなにも懸命なのだろうか。
蓮飛は広く浅く付き合う方で、深入りはしない。
商売においてそれは良い事だが、親密になりたいと思うとすっと一線を引かれるのだ。
自分の中に入り込んでほしくない何かを抱えているからだろう。
しかし、彩牙に関してはその一線を全く感じない。むしろ自ら内に招き入れるようだ。
(こんな事…まるで彩牙に嫉妬しているみたいだ…こんな時に、何を考えているんだ、俺はっ)
心の中で自分を叱責しながらも前を見る。
ゴールはもう目前だ。
雄翔とは殆ど差がない。
(ゴールに入りさえすれば…蓮飛さんをそのまま連れていけるっ…)
蓮飛が木曜星の力で飛び立つ前に…レースに決着をつけなければならなかった。
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