第47話「裏側の計略」



祭り前夜のそわそわとした空気が、深い夜の幕に覆われた頃。
客気の灯りが漏れる飲み屋街の少し外れた路地裏で、闇が僅かに揺らいだ。

それからまもなく、人気の無いそこに一組の男女が大通りから反れて入ってきた。
男は屈強な体つきで眼光鋭く、ぱっと見ても、じっと見てもとても堅気には見えない種類の顔をしている。
酔っているのか上機嫌で、べらべらと何やら講釈を垂れている。

その筋骨隆々たる太い腕に絡み付いているのは、少し化粧が濃くてあだっぽい、華奢な女だ。
ウェーブのかかった髪をくるくると頭のてっぺんで結い上げていて、その後れ毛がこなれた色気を醸し出している。
女の方も酔っているらしく、男の弁舌を聞いては茶化し、けらけらと笑っていた。

そんな二人の前を黒い風が横切った。男は足を止める。


「ちょっとぉ、急に止まんないでよッ!」

「うるせぇ!おい、出てきやがれ」


文句を言う女を黙らせ、男がぞんざいに前方の暗闇に呼びかけると、嗤うようにゆるりと空気が揺れて中から人影が浮き上がった。


「誰だてめぇ」

「あら、イイ男」


男は甲高い声で呟いた女を睨みつけて再び黙らせた。
闇をそのまま切り取ったようなその人影は、黒尽くめの西域風の服を着た長身の男だった。
女の言うとおり、少々垂れ目であることに目を瞑れば、鼻筋の通ったなかなかの面立ちである。
そして何より印象的なのは燃えるように真っ赤な長い髪で、それがなんとも鮮烈で奇異だった。


「依頼人だよ。ちょっと頼まれてくれねぇか?」

「ふん。怪しいな」

「報酬はたんまり出すぜ?」


金を持っている風には見えないと言うと、その赤髪の男はもちろん、と芝居がかった大げさな所作をして、


「報酬はさるお方が出してくださる」

「へぇ、アンタは“お使い”ってワケ?ヤバイ仕事?」

「そうでもないさ。明日のレース中に、ちょっと人を一人、攫ってほしいだけだ」


赤髪の男は、にやりと口角を吊り上げた。





レース当日の清々しく晴れ渡った空に、彩牙の素っ頓狂な叫び声が響く。


「どこ触ってんだお前はっ!!」

「どこって…………ここ?」

「ぎゃあっ!」


彩牙の細腰を抱き寄せて優雅に微笑む江に、彩牙は思わず頬を染めてしまってから慌てて振りほどく。


「こんな人混みの中で何すんだよ」

「人混みだからだよ。はぐれてしまったら、大変でしょう?」

「うっ…だ、大丈夫だよっ」


祭りの賑わいの中を物ともしない美丈夫を置きざりにして、彩牙は頬の熱を冷ますためずんずんと歩を進めた。


(江のばかっ、俺の気も知らないで…!……ん?俺の気??気って…気って!………………あぁもうっ!!)


ますます赤くなってしまい苛立ってちらっと振り返ると、江の前には一人の女。何やら話しをしている。

それを見た途端、彩牙は胸の奥をなんだか訳の分からない、妙な衝動が込み上げた。
衝動の唆すままにぐるんっと首を戻した彩牙は、誰かに正面からぶつかった。


「うわっ、ごめんなさいっ!」

「おぉっと、気をつけな、嬢ちゃん」


野太い声で笑ったのは、屈強な体つきの男だった。冒険者か盗賊のような出で立ちである。
肩を支えてもらった彩牙が礼を言っていると、男は身体は屈めて顔を覗き込んでくる。


「アンタ、なかなかの美人だな。一人か?だったら、一緒にレースに出ねぇか?」

「え?いや、俺……じゃない、私は…」

「その子の連れは、私だ。相手を探しているのなら、こちらの女性もそうらしいですよ?」

「江!」

「なんだよ、お手つきか。しょうがねぇな。そこの姐さん、ちょっと向こうで話しようや。……可愛い嬢ちゃん、また後でな」


そう言って、男は江が先程までしゃべっていた女性を引き連れて、人混みに紛れていった。


「彩牙、だから離されたくなかったのに。何かされなかった?」

「ごめん…。大丈夫、何もないよ」

「彩牙が無事ならいいよ。でも………何か、妙だな」

「え?」

「彩牙。何か胸騒ぎがするから…気をつけて」


忠告する江の真剣な瞳に、彩牙が見惚れて戸惑いつつ頷くと、彼はふっと表情を解して彩牙の肩を素早く抱いた。


「ふふ。さぁ、私たちの愛の力で優勝しようか」

「な……っ!何が愛なんだよっ!!」





「まったく目が離せなくていけない…」


清楚なお嬢様へと変身してしまった想い人を思い出して溜息をつく。
その美しさにすっかり魅了されてしまって自分は目が離せないと言うのに、蓮飛は龍景の気持ちなど微塵も気付いていないので無邪気に心を掻き乱してくれる。
人混みが苦手な蓮飛のため、一人で食料調達に来た龍景は買った品物を抱え直した。
さっさと彼の元に帰ろうとスピードアップを計ろうとしたその時、予想外の方向から己の名前が聞こえた。


「龍景!?龍景じゃないか!」

「………雄翔(ゆうしょう)!?」


小走りに駆け寄ってくるのは、もう何年も会っていない幼馴染みだった。





龍景は、その世の女達が見惚れる端正な顔を困惑に歪ませた。
彼の目の前で頭を下げているのは、こちらも龍景と同様に爽やかな貴公子然とした品の良さそうな青年である。
この二人が街を並んで歩いていたら、娘たちは黄色い悲鳴をあげるだろう。
しかし今、彼は誰の目から見ても切羽詰った様子で必死に龍景に頭を下げていた。


「頼む!勝たせてくれ!!」

「そう言われても……」


歯切れ悪く言葉を濁すと、彼は龍景の手をとってじっと見つめる。昔から、頼まれ事に龍景は弱かった。

彼の名は紅 雄翔(こう ゆうしょう)。このシュカ領を治める領主の一人息子である。
領主の息子という立場も同じで、年も近かった彼らはすぐに打ち解け、よく二人でちょっとした悪戯をしては大人たちを困らせたりしたものだった。
龍景にとっては、親友というか、悪友というか。


「龍景っ!!……ここに家出息子がいること、孫(そん)様に言っちゃうぞ」

「〜〜〜…っ!」





「おっそいぞー龍景」

「すみません、店が混んでいて」


少し引き攣った苦笑を浮かべて、龍景は大量に買い込んだ食料を蓮飛に手渡す。


(ごめんなさい、蓮飛さん!今、父上に見つかって連れ戻される訳にはいかないんですっ!)


心中で謝罪しながら、もぐもぐと愛らしく目の前の食べ物を美味しそうに頬張る彼を見つめる。
やっぱり蓮飛は何をしても、可愛いかった。


「……蓮飛さん、これもどうぞ」

「ん?……はぐっ、うん、美味い♪」


空腹が満たされていくおかげか、自然な笑みを零す蓮飛に龍景の目は奪われ、胸はときめき、頬は赤くなり、そして心はちりりっと罪悪感に焦げた。

“恋人との結婚を親に認めさせるために、レースに優勝したい。賞金はお前にやるから”

半分脅されたとはいえ、雄翔は自分の幼馴染みだ。彼が選んだ女性なら、きっと何も問題は無いのではないだろうか。
話によると、どうやら彼の恋人は民間の娘だそうで、それゆえ周囲の反対も強く結婚を承認してくれないらしい。
それでも救いなのは、祭り好きで有名な彼の父親が思慮深い人で、反対者ではないことである。うるさいのは、周りの取り巻き連中なのだ。

龍景としては、できれば協力したい。
賞金と商品が手に入るなら、優勝に拘る必要もないことだし。

ただ、蓮飛はこんな八百長まがいのことは反対するかもしれない。
それに雄翔と他言無用だと言われている。


(……あぁっ、でも駄目だ!)


「蓮飛さんっ、あのですね……」

「?」


雄翔はすっかり失念している。龍景は、嘘をつくのがとても苦手な男だということを。



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by穂高 2005/12/02