馬の嘶きが響く、晴れた日の午後。
「よしよし…お前はいい子だな。本番もよろしく頼むぜ?」
蓮飛は馬の毛並みを優しく整えてやりながら、馬に話しかける。
気持ち良さそうに毛を梳いてもらっている馬は、まるで返事をするように嘶く。
「…蓮飛さん…。」
一方の龍景は、その様子を少し離れたところで見ながら、江達のために調達した馬の世話をしていた。
蓮飛の今の服装は、もちろん女装のままである。
春の野原を連想させるような、淡い緑色の色調で纏められた彼の服装は、清楚な雰囲気を助長させ、まさに可憐な少女、といった感じだ。
袖丈は短いもので、元々華奢な蓮飛は、美しくほっそりとした白い二の腕がどこか色っぽい。
丈の長いスカートは普段の袴と変わらないように見えて、その実風が吹くとふわふわと舞って足が覗く。
龍景は、自分の動揺を相手に悟られないよう必死である。
(普段も十分美しい人なのに…どうしてあんなに似合ってしまうのか…)
嬉しさと困惑が入り混じった、複雑な気持ちを抱えた相手の状態を露知らず、蓮飛はいつもの様子で相手に話し掛ける。
「これなら、きっといい走りをしてくれそうだ。な、龍景。」
「………え?あっ、はいっ!何でしょう?」
「聞いてなかったのかよ、お前…。」
「あ…す、すいません…。」
「別に謝んなくてもいいけどよ。」
咲き初めの薔薇の色の、ふっくらとした唇から紡がれるのは、いつもの蓮飛の粗野な口調。
分かってはいてもそれに違和感を覚えてしまう。
「お前、熱でもあるんじゃねーのか?さっきからボーっとして。」
「い、いえ、何でもありません!」
龍景は心の中で深くため息をつく。
熱に浮かされている理由は、蓮飛にあると。
夢にも思っていない目の前の美しい人は、怪訝そうな顔をしつつ馬の世話に戻る。
「龍景、ちょっと試しに乗ってみるか?」
「あ…そうですね。その馬にも慣れておきたいですし。」
蓮飛の意見に賛同し、軽々と馬の背に乗る。
鞍は割合しっかりしたもので乗り心地はなかなかだ。
馬もすぐ、龍景に慣れた様子で大人しく指示を待っている。
「龍景、ちょっと手を貸せ。」
「え?」
「え、じゃねーよ。俺を乗せて走らなきゃ意味がないだろ。」
「は、はいっ。」
最近馬に乗る時は、江が当然のように彩牙を連れていってしまうため、自然龍景は蓮飛と乗る事が多く、やっと平静な顔をしていられるまで慣れたのだ。
しかし今日ばかりは訳が違う。
相手はこの上もなく愛らしく変身していて。
横乗りをしながら自分の腰に掴まる腕は袖がなく、肌が直視できてしまう。
心拍数が上がっていくのが自分で分かる。
密着されてしまうため、ひょっとしたら聞こえているかもしれない。
でも、この心拍数の高さの理由を聞いたら…。
(少しは俺を、『対象』として見てくれるんですか…?蓮飛さん…)
「……行けッ。」
西域で狩りの際に使われる、小型の弓を引く。
すると、矢は真っ直ぐに用意した棒へ突き刺さる。
「ふむ…。西域の弓だからどうかと思ったけど…そう相性は悪くないな。木曜星も良く働いてくれる。弓の弦の音も気に入ったんだな。」
式神を使役して矢を的に当てるのなら、何も問題はないだろう。
あとは龍景の馬を駆る技術に殆どがかかっていると言っても過言ではない。
「ん〜…。やっぱり、もっと下の服を短いものにするか…しっかり跨いで乗らないと少し不自然だからな。」
「えっ。」
「別にこの格好で跨いでもいいんだが…。」
「だっ、ダメですよ、蓮飛さん!」
何やら危険な発言をしている蓮飛を慌てて制する龍景。
「何だよ、何か問題でもあったか?」
「丈を短くするのは…その…ズボンならいいですけど…。あ、それからその格好で跨いだりしちゃダメですよ、絶対に!」
「何でだ?彩牙の下はかなり短い丈だぞ?それにここには誰もいないわけだから、バレる筈ないし…。」
矢張り論点がずれてしまう蓮飛に、龍景は今日何回目かのため息を相手に気付かれないよう漏らす。
「まぁ、その辺は当日までに検討しておくとして…。遅いな…彩牙たち。」
西の空に熔けかけている太陽の光を眩しそうに見て、蓮飛は呟く。
「のんびりでも、いいじゃないですか。」
「は?」
「……たまには。」
「そう、だな…。」
小さく返事をする蓮飛。勿論、龍景の言葉の中に含まれている意味には気付かずに。
まだ、芽吹くのには時間がかかる、蓮飛の種。
未だ、様々な殻に包まれているのを、龍景は知らない。
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