「ぁ、あの〜…蓮飛さん……」
「…………。」
控えめに尋ねた声に微動だにせず、ひたすら字面を追う蓮飛の眼差しに、龍景はこっそりと溜息をついた。
本が山のように積まれている露店の店先でこの状態に陥って、もう半刻ほどは経っただろうか。
わざとらしく咳をする店主の男に、愛想笑いを浮かべて蓮飛を引きずり店の端に移動する。
「ぁ、あはは…すみません」
「まぁねぇ、営業妨害にならなきゃ別に構わないがね。綺麗な嬢ちゃんを眺められて目の保養さ」
「嬢ちゃん…」
蓮飛の耳に入ったら怒るだろうかとひやひやしたが、相変わらずの常人離れした集中力で聞こえなかったらしい。
いや、周囲の雑音なんて聞こえていないだろう。
暇を持て余す龍景は勘違いを訂正するのも面倒だったので、そのまま苦笑を返した。
それをどういう意味に受け取ったのか、店主の男は豪快に笑った。
「男前な恋人よりも、古臭い本の方に夢中だとは報われないねぇ」
「えっ!?ぁ、いやっ、俺はその…っ」
揶揄する店主に真っ赤になる。
確かに龍景と蓮飛は傍から見れば、美青年と美少女のカップルにしか見えない。
しかも、彼女に尻に敷かれている情け無い彼氏の図である。
自分の状況とそれらの想像を照らし合わせて、大いに動揺した龍景は慌てた拍子に人とぶつかってしまった。
「きゃあっ」
「ぁ、すみませんっ!大丈夫ですか?」
「あ…は、はいっ!」
よろめいた相手を慌てて支えると、それは14、5歳くらいの三つ編みを長くたらした少女だった。
龍景を見上げてさっと頬を染め、呆然としてしまっている。
「本当に、大丈夫ですか…?」
自分に見惚れているとは露とも考えず、心配そうに覗き込んだ彼に、少女は慌てて礼を言った。
この街の商店の娘らしい。手には紙の束を抱えている。
「すみません。これを落とさないように、とばかり思っていたものですから」
「重そうですね。それは?」
「あぁ、宣伝用の貼り紙なんです。街のお店に貼ってもらうために配っているんです」
そう言って少女は龍景に一枚差し出した。
そこには目立つように赤い字で、
『愛の絆で勝利を掴め!市中カップルレース!!』
と書かれている。下の方には『領主主催。優勝者には賞金300万ゴールドと豪華商品』などの文字が躍っている。
「領主主催のレース?」
「あら、ご存知ありませんか?シュカ領の領主様はお祭りがお好きなんですよ。だから、領主様のお膝元であるこの街では催し物が多いんです。」
「あぁ…そういえばそんな事を仰っていたな…」
「え?」
「あ、いや。何でもないです。それでこのレースというのはどういったものなんでしょう?」
思わず漏れた呟きに不思議そうな顔をした少女に、龍景は慌てて話の矛先を変えた。
龍景はハクシュウ領の領主の三男である。
シュカ領の領主とは、幼い頃に会ったことがあった。
「簡単な競技ですよ。男女の二人一組で馬に乗り、街の中に作られるコースを走るんです。でもただゴールすればいいのではなくて、途中にある3箇所の的を何らかの方法…弓とか、吹き矢とか…で射なければなりません」
「つまり、3箇所すべての的を射て、一番早くゴールしたものが優勝…ですか?」
「ふぅん、ヤトマの流鏑馬(やぶさめ)みたいだな」
「ぅわぁっ、れ、蓮飛さん!」
突然、横からにゅっと顔を出して貼り紙を覗き込む蓮飛に、龍景は間抜けな声を上げる。
どうやら目ぼしい書物はすべて読破してきたらしい。
「なんだよ。人をお化けみたいに」
「すみません、まだ本に夢中になってると思ってたので…っ」
蓮飛に向かって慌てて弁明する龍景と、彼の手元を覗き込む美しい容姿の蓮飛を見比べて、娘は落胆の表情を浮かべた。
恋物語が始まらないことを悟ったらしい。
「お二人も参加なさったらいかがです?参加は自由ですから」
「いや、俺たちは」
「……む?」
どこかやけくそ気味に仕事に勤める少女に龍景が断りを入れかけた時、紙面を追っていた蓮飛の視線がぴたりと止まった。
「どうかしたんですか?」
「龍景、出るぞ」
「はい!?何言ってるんですか、だってこのレースは…!」
男女ペア参加が原則。
「賞金と犬ぞりタダ権は貰った…!!」
蓮飛の手には、先ほど掘り出し物の野草図鑑を買ってしまって少し軽くなった財布が握られていた。
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