船が岸辺にゆっくり到着する。
「悪かったな、おっさん。でも、もう安心しろよ。」
「いやいや…君達がいなければどうなっていた事か…。」
蓮飛は檸檬水のおかげで症状が緩和したのか、身軽に船から降りる。
そんな蓮飛を見て、少し惜しかったなどと龍景は考えてしまう。
確かに船酔いをしている彼は辛そうで可哀想だったが、同時にとても可憐で儚げで
…秘めた恋心をもつ龍景にとっては、その想いを駆り立てるのに十分過ぎるほどの魅力があった。
「さて、と。あの二人がどの辺りに着岸するかだな…もうどこかに着いていればいいんだが。」
辺りを見回しながら蓮飛が呟く。
湖岸は小さな丸い石が無数にあるため、滑らないように注意しながら様子を見ている。
運搬夫に聞くと、ここは街からはそう遠くはないが、この辺りは森が深いために地元民でもたまにしか訪れないらしい。
少し東に行けば開けた道へ通じると聞いたが、もしそちらに着いていればこの辺りまで騒ぎが聞こえるだろう。
「そうですね…。」
そう言いながらも、龍景は別の考えを巡らせていた。
(江さんの事だから無事彩牙を助けられたに違いない…だから…俺たちと合流するのはもっと後でも…)
龍景ははからずとも蓮飛と二人きりなのを喜んでいるのだ。
とはいえ、蓮飛はそんな事を知る由もなく江と彩牙を探して歩いているのだが。
「龍景、遅いぞ。」
「あっ、は、はいっ。」
全く気付かない蓮飛は考えのおかげで足取りの重い龍景を急かす。
「…あ。」
ところが次の瞬間、小さく声を上げて蓮飛は足を止め、近くの木の根元に腰を降ろして荷物を置く。
「蓮飛さん?」
「わざわざ探しに行かないでも、岸に着けば…すぐに火を起こすだろう。」
「確かに…。その煙を頼りに探そうと言うんですね。」
「その通り。」
わざとらしいくらい大きく頷いてから、荷物の中の弁当を取り出す。
先程まで船酔いがひどかったため、口にしていなかったのだ。
「お、うまそう。ちょっと寄っちまったのは残念だが…ん、美味い。」
蓮飛は弁当をぱくぱくと食べ進めながら、のんびり湖を観賞している。
何と幸運な事であろうか。
二人きりでいたいと願ったら、本当に叶うだなんて。
(ひょっとして、都合のいい夢でも見ているのか、俺は…)
そんな事すら頭をよぎってしまう。
こんな雑念だらけでは、いざと言う時に反射が鈍くなるのではと不安になるぐらい。
そっと相手の隣に少し間を空けて座り、相手をさり気なく見つめる。
美しい、と心から素直に思う。
けして男性に見えないというわけではない。
敷いて言えば中性的な美しさ。
そしてそれを際立たせているのは、双色の瞳。
本人は忌み嫌っているようで、美しい右の赤い瞳は長い前髪に隠されている事が多いのだが。
龍景は、その輝きも愛しいと思っているのだ。
「ん?…何だ、龍景も腹減ってるのか?ほれ。」
龍景の視線を勘違いした蓮飛が、箸に一口分のせて龍景の口元に運ぶ。
「えっ、あっ、そのっ!?」
「早く口開けろって。」
「あ…は、はいっ。…あー…。」
これではまるで恋人同士の仕草…。龍景の心臓の音は更に高鳴る。
相手に聞こえはしないかと、龍景は自分の胸を押さえてしまう。
(この人は…なんて罪な人なんだろう…。美しくて…でも、根には毒がある華のよう…)
「俺、こういうヤトマの家庭料理は食った事ないから…なんかいいよな。」
「そうだったんですか?」
珍しく、蓮飛が自分の事を話し始める。
龍景は出来る限り聞いておこうと相槌を打つ。
好きな人の事なら、いろいろと知っておきたいと思うのは人の性である。
「随分前からハクシュウにいるからな…。食事は今、店任している奴らに作ってもらったり、近所の人のおすそ分けしてもらったり…。」
一口を小さく口に運び、まるで小動物のように咀嚼しながらぽつぽつと話す蓮飛。
その仕草も不思議に可愛らしく見えてしまう。
「俺も自分で作れれば良かったんだろうが、料理は性にあわねぇんだ。」
「蓮飛さん、薬の調合はあれだけ上手なのに、料理はダメなんですね?」
思わずくすっと笑うと、少し子供っぽく蓮飛が口を尖らせる。
「悪かったな。」
「わ、悪いなんて言ってませんよ。ただ、意外だなって。」
「意外か?」
「ええ。」
久しぶりに…いや、初めてかもしれない。
こんなに親密に話したのは。
それがたまらなく嬉しいと、龍景は一人心の中で微笑む。
「んぁ、煙…上がってるな?西の方…」
箸を咥えながら西の空に立ち上る煙を発見する蓮飛。
龍景は既に気付いていたが、蓮飛が気付くまで黙っていたのだ。
二人きりの時間もこれで終わりになる。
「それじゃあ、行きましょうか、蓮飛さん。」
「ああ、そうだな。」
江と彩牙の分の荷物も持って二人は立ちあがると、ゆっくり煙の立ち上る方向へ向かっていった。
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