第39話「君を呼ぶ声は」



鮮やかなオレンジ色の髪を目印に、必死でもがいて手を伸ばす。
彼の小さな身体はその太い触手にがんじがらめされていて、すっかり意識を失ってしまっているらしい。
力が抜けて落としそうになっていた剣を支えると、江はそのまま触手に切りつけた。
先ほど弾が命中していた場所だっため、数回切りつけると触手はもげて、彼の身体を開放した。
力無い彼を抱えてそのまま海上を目指す。

無我夢中、だった。





「彩牙!彩牙っ!」

呼びかけても応答が無く、江はなんとか辿り着いた近くの岸に上がり彼の身体を横たえる。
血色の良いはず顔は青白く、暖かい色をした唇は紫に変わってしまっていた。

そしてまるで死んだように冷たい。

呼吸が、────止まっていた。

血の気が引く音がする。


「彩牙・・・っ」


無意識に零した声は冷静さを欠いて、掠れて惨めだった。
しかしそんなことすら気づかずに、江は彼の衣服を肌蹴させ、息を吸い込むと彼の口に静かに注ぎ込んだ。
何かを考えるよりも先に、勝手に身体が動いていた。

そんな風にちゃんと出来ているかわからない人工呼吸を数回繰り返した時、僅かに彩牙の指が震えた。


「・・・ごほっ、かふっ・・・けほっ・・・はぁ・・・っ」

「彩牙っ!」


水を吐いた彼は意識が戻ったのか、むせながらぼんやりとこちらを見上げている。
思わず抱き締めて彼の背中をさすった。
回復してきた彼の体温に安堵すると同時に、自分の心臓が早鐘を打っているのに気づく。


(我を忘れて、必死で彩牙を助けようとしていて…。自分が極度の緊張と不安で高ぶっていたことに、気づかなかった…?)


「江…?俺…魔物に引きずり込まれて………ぁ、そうだ!魔物は…っ!?」

「魔物なんかどうでもいい。それより、彩牙」


記憶を手繰り寄せて、すぐに周囲を警戒して立ち上がろうとする彼を、力ずくで腕の中に押さえ込む。


「え!?江、ぁ、あの…っ」


思いがけない腕の強さに混乱する彩牙に構わず、きつくその小柄な体躯を抱きしめる。
搾り出した声は、予想より遥かに小さく掠れて紡がれた。


「無事でよかった…」

「……え?」


聞き取れなかった彼のために、肩を掴んで正面から見つめる。
江は今、自分がどんな顔をしているか、まったく気にしていなかった。


「彩牙が、無事でよかった…」

「…ぁ……」


目を丸くした彩牙は、途端に耳まで真っ赤になって、江に縋り付くように寄りかかった。
そんな様子に怪我でもしていただろうかと、少し慌てた江は彩牙を抱き寄せて支える。


「彩牙?大丈夫…?」

「ぁ、だ、大丈夫…。」


どうやら、身体は平気らしい。
ますます赤くなって、しかも大人しくなってしまった彩牙に不思議がりながら見つめ、ふと苦笑する。
ぬくもりの戻った身体は水に濡れて艶やかで、肌蹴た服から除くのは薄い桜色に染まった肌。
さっきまでの緊迫感はどこへ行ってしまったのか、それとも安心してしまったからなのか。
相手の愛らしい姿に、欲の疼く自分がいる。


(私は、なんて不謹慎な男だ…。)


柔らかな苦笑を濃くして、江は視線をさりげなく外す。


「彩牙、そのままでは風邪を引いてしまうよ。蓮飛たちが迎えにくるまで、ここで火にあたっていよう?」

「ぅ、うんっ」


江が周囲を探り始めると、赤くなって固まっていた彼はやっと我に帰ったらしく、パタパタと後をついてきた。
自然と笑みが浮かぶのを、江は気づかなかった。


「人口呼吸の仕方…学んでおいてよかったな…」

「え…人口呼吸…って・・・!」

「彩牙?」

「あ、いや、な、何でもないっ!」


振り返ると、彩牙はますます顔を赤くして立ち竦んでいた。
普段の江ならそれをからかいもするだろうに、今はひどく高揚していたから。


「そう?ならいいけど、…どこか悪いところがあったら言って?」

「……うん…っ」


奇跡を起こせたようで、信じてもいなかった神に感謝して。

珍しく冷静さを欠いている江は、自然と浮かんでいた笑みに変化を示す彩牙の様子に気づかないままだった。



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by穂高 2005/5/31(Tue)