「まだいたのか…。」
苦々しい声が蓮飛の口から漏れる。
彩牙は江が助けにいったとは言え、無事かどうかはわからない。
まして相手は長くたくさんの触手を持った魔物。
ここで応戦し切れなければ、自然被害は彩牙たちのほうへ向かう。
また、湖に潜んでいたことを考えれば、魔物にとって水の中のほうが当然有利に戦えるはず。
何とかここで食い止めてしまいたい。
「蓮飛さん、無理しないでください…まだ船酔いの影響が残っていらっしゃるんでしょう?」
「バカ、今そんなことでへばってられる状況じゃねぇだろ!お前はさっさとこいつを倒すことだけ考えろ!」
こみ上げてくる吐き気を抑えて、何とか立ち上がる。蓮飛は直接船に指を使い墨で文字を書き、舵を取っている運搬夫の周りに結界を張り巡らせる。
(これで、運搬夫が被害を受けることはないな…あとは、こいつを倒すだけだが…。)
使える札は数枚。詠唱時間が短いものは身近にあったおかげですっかり水に濡れて、文字が滲み、効力はほぼない。
ズキズキと痛む頭、吐き気、それらと戦いながらなんとか蓮飛は身体を支えていた。
「くッ……はぁっ!」
龍景が魔物の触手を切り落とす。
切り落とされてもビクビクと痙攣しながら湖に落ちていく。
その波がまた船を揺らし、蓮飛の喉元を焼けつかせる。
視線を落とした瞬間、蓮飛の目に入ったのは木片。
「…行けるか、これで…。」
掌にすっぽりとおさまる程度の大きさの木片を手に取り、指に墨をつけ何か模様を書いていく。
「蓮飛さんっ!!」
手もとの作業に集中していたせいで、反応が遅れる。
触手が自分を締め上げ、宙に浮かせていた。
「くぅ…ッ!この、やろぉっ…!」
先ほどの木片を思いきり、魔物の身体に突き立てる。
低くおぞましい啼き声を響かせ、魔物がもんどりうつ。
「てやぁぁっ!!」
龍景が船上から大きく飛びあがり、長剣を振りかぶって蓮飛を捕らえている触手に必殺の一撃を加える。
「うわっ!」
「蓮飛さん!」
落下する蓮飛の身体を受け止めたのは、龍景のしっかりとした腕。
「…龍景…」
「大丈夫ですかっ、蓮飛さん!すいません、俺がいながら危ない目に…。」
「謝るのは後だ。いいから、そのままじっとしてろ!」
「はっ、はい!」
魔物は一番太い触手を斬られ、のたうちまわるかのように叫び、波を立てる。 今が好機だ。蓮飛はすっと瞳を閉じ、意識を集中させる。
「…我、周防蓮飛の名のもとに命ず…世の理になぞらえ、水は土に還れ。木は火を得て土と為す。火曜星、我が命において火を生ぜよ!」
蓮飛がそう唱えると、先ほど魔物の身体に突き立てた木片から炎が上がり、あっという間に魔物の身体を包み、焼き尽くしてしまった。
「……劫火に、浄化されよ…。」
物が焼け焦げる独特の匂いも、湖を渡る風で次第に霧散していく。
「…蓮飛さん…。」
「…っ…!」
蓮飛は龍景の声でハッと我に帰る。
何せ、今自分は龍景の腕に…まるで女の人のように…抱きかかえられているのだ。
慌てて降りようと身じろぎすると、察した龍景がそっと降ろす。
「…お怪我はありませんか?」
「あっ、ああ。」
どうしてか。
龍景の顔を見る事が出来ない。
慌てて、自分の頭の中で言わなくてはならない事を整理する。
「…えっ…と、ありがとな。」
「いいえ、当然の事です。それに…もっと俺に力があったなら、蓮飛さんを危ない目に合わす事もなかった…。」
フォローをしようと、顔を上げる。
相手の真摯な表情。
(…こいつって……こんな表情もするんだっけ…?)
不思議に目が離せない。
蓮飛は自分の頭と身体が別々に動いている事に、何とも言えない不思議な感覚を覚える。
「あぁ、運搬夫さんも無事のようですね。あとは、彩牙と江さんですけど…。」
「江が何とか彩牙を救出してくれてるといいが…。とりあえず魔物は倒したからな。…近くの岸に船を寄せてもらうか。」
「その方が良さそうですね。」
安心したら、また船酔いの症状がゆったり苦しめてくる。
「蓮飛さん、檸檬水飲みますか?」
「…いや、いらない…。」
「飲むと少しすっきりしますよ。」
(過保護過ぎる…俺はそんなに小さな子供でもないって言ってるのに……。)
そう思いながらも、蓮飛は珍しく素直に相手から檸檬水を受け取り、口に含んだ。
すっきりとした味の檸檬水は、彼の優しい、爽やかな心によく似ていた。
岸辺に向かうまでの間、船の上の蓮飛を優しい風が包んでいた。
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