第37話「呼君湖中」



白い朝日が湖面を照らし、夜の間冷え込んでいた水滴が天に昇華していく。
立ち込めていた朝霧が晴れ始めた頃、四人は出発した。

家の前でだいぶ葎花に引き止められてしまったが、そこは龍景の出番。
上手く宥めて少女を落ち着かせ、さらに彩牙が「この街に来たら、必ずまた会いに行くから」と眩い笑顔とともに約束をした。
そのおかげで、四人は葎花の無邪気な笑顔で見送られて旅立つことができた。


「えーっと、船はどこ?」

「あの桟橋の所で待ち合わせているよ。行こう」


昨日の内に手はずをつけていた船は、一般の運搬船である。
葎花の母親と知り合いだという、初老の男性が仕事ついでに乗せてくれるという。


「おはようございます」

「おぉ、待っとったぞ。昨夜はよく眠れたかい?」

「えぇ、おかげさまで」


にこやかに挨拶を交わす龍景と運搬夫の傍らで、ひょいっと彩牙が船に乗り込む。
どことなく嬉しそうに目を輝かせている彼に、江は笑みを零して後に続く。


「彩牙、もしかして船に乗るのは初めて?」

「うん!俺、ハクシュウから出たことなかったからさ。河下り用の、小さな舟しか乗ったことなくて」


自分の世間知らずさを恥じるように、少し照れ臭そうに笑う彩牙は、とてもほのぼのと愛らしい。
江はくすりと笑みを零して、彩牙の腰にさりげなく手を回した。


「それじゃあ、少し心配だな。船酔いしないといいけれど」

「そうだな………って、何だよこの手は!」

「うん?何って私の手だよ?」

「そういうこと聞いてるんじゃないっ」


そんな二人の様子を見て、龍景と蓮飛は溜息をつく。


「もっとマシな交流手段は無いのか、アイツらは?」


悪態をつく蓮飛に、龍景が苦笑を返す。

その双色の瞳に、ほんの一瞬、影が走ったのに気づかない振りをする。


(蓮飛さんは………、江さんが好き…なのかな…)


蓮飛が江を見つめる視線には、時折何かが含まれている。
気づいてはいたが、龍景は口に出して指摘することができない。

口に出して言ってしまったら、きっと。


(「俺じゃダメですか…?」なんて、言ってしまう…)


相手の弱い所に針を打つような事は、したくなかった。


「さぁて、準備はいいかい?出発するぞ」


運搬夫の呼びかけにより、帆を張り終えた船は穏やかに陸を離れた。





湖の航行は思いの外何も起こらず、平穏無事に湖の中心までやってきた。
一つのことを除いては。


「うぅ…気持ち悪い………吐きそ…」


ぐったりとしつつ縁を掴んでしゃがんでいるのは、蓮飛だった。
色の白い顔がさらに青白くなってしまっている。
どこか色気を感じさせる哀れな姿に、龍景が隣で甲斐甲斐しく世話を焼いていた。


「彩牙より蓮飛の方が船酔いとはね」

「あはは、俺は馬とかそういうの、すぐ乗れちゃうから」


少し離れた甲板に座って、江と彩牙は昼食を取っている。
葎花の母が、昼食にと弁当を持たせてくれたのだ。
美味しいヤトマ料理を嬉しそうにもぐもぐと食べる彩牙を眺め、微笑みながら江も舌鼓を打っていた。


「対岸の邑に着くのは、どのくらいになりそうですか?」

「ここまでは順調だし、風も良好。夕方には着くだろなぁ」

「そうですか、良かった」


運搬夫ともそんな和やかな会話をしていたその時、急に彩牙が立ち上がる。
少し緊張した面持ちで、剣の柄に手を掛けて構え、船縁に近づく。


「彩牙…?一体どうし…」

「おじさんっ、舵を取って!…底の方から何か来るっ!」


鋭い指示を出して双剣を抜いた彼に、江も素早く銃を構え、龍景も抜刀し、へばっていた蓮飛も後方へ下がる。
戦闘態勢を作ったのを見計らったように、すぐに大きく船が揺れて湖面が競りあがった。
津波のようなその勢いの中から現れたのは、何本もの触手を持った巨大な生物。


「ひぃっ、魔物…!?」

「大丈夫だからっ!おじさんはしっかり船を操って!」


悲鳴を上げた運搬夫に、彩牙は檄と共に強い視線を飛ばす。
男は咄嗟に彩牙の言葉を信じた。

それを視界の隅で見ながら、江は迫り来る太い触手に的確に弾を撃ち込んで侵攻を防ぐ。
身の丈が8尺ほどもありそうな巨大な蛸型の魔物は、それでも意に介さずに船を飲み込もうとしてくる。
船を掴まれそうになる度に龍景も切り付けたが、なかなか相手は怯まない。

なにぶん、狭い船の上だ。こちらが分が悪い。
湖中に船ごと引きずり込まれてしまってはお仕舞いだ。


「くそ…さっきの波で札が…っ」

「俺が行く!」


蓮飛の呪符が数枚、使い物にならなくなっていた。
まだ他の符があるが、この詠唱は時間がかかる。船が持ち堪えられるか分らない。
周りの状況を素早く確認した彩牙は、船縁に足をかけて飛び出す。
巧みに触手を踏み台にして魔物の頭頂部まで跳び上がると、清浄な風がその小柄な体躯を取り巻き、彩牙を支えた。


「風牙破斬っ!!」


交差させて掲げた剣を力を籠めて叩き込むように引き下ろすと、凄まじい剣風が魔物の巨体を引き裂いた。
盛大な水しぶきをあげて、絶命した魔物は湖中に沈んでいく。

彩牙は風の名残を纏いながら、見事に甲板に着地する。


「彩牙、怪我は…?」

「大丈夫。」


駆け寄ろうとする三人に、彩牙は笑みを零した。
しかし、解けかけた緊張が刹那にして凍りつく。


「後ろ!!」

「えっ…!?」


振り向いた時にはすでに遅く、もう一体忍んでいた魔物の触手が彩牙の足に絡み付いていた。
江が瞬間的に放った銃弾は命中したのに離れず、彩牙の身体は一瞬にして水中に引きずり込まれる。


「彩牙っ!!」


意識が遠くなる水の中で、彩牙は江の強い呼び声を聞いた気がした。



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題は「こくんこちゅう」技名は「ふうがはざん」とでも読んでください。
by穂高 2005/5/15