第36話「高鳴り」



夕食はつつがなく他愛ない会話がはずむ、旅の途中にしては穏やかで和やかな雰囲気から一転、めいめいの寝床へ戻ると、 夕方の出来事が思い出されたかのようにいつの間にか気になる彼の人の元へ出向いていた。


「…まさか、龍景とあれほど仲睦まじかったとは。」

「だから、誤解だって言ってるだろ!?龍景は大切な仲間だけど、江の言うようなのじゃないって!」

「…嬉しそうに笑んでいたでしょ?…話していた事すら教えてくれない。」


彩牙は龍景のためを思い、あえて何も語ろうとはしなかった。
龍景が江に話すのならばともかくも、当事者ではない彩牙が話すのは気が引けたのだ。

無論、江は殆どお見通しなのだが、彩牙は知る由もない。


「だから、親しき仲にも礼儀あり、だろ?聞かれたくない話もあるんだって。」

「…人に聞かせられないような親密な会話をしていたんだ?」

「それはっ、そうじゃなくてっ…!」


ふと、彩牙は気付く。

何でこんな必死に弁解しなくちゃならないんだ?
…確かに、やましい事でもないのだから…
『悩み相談をされて、その話題が苦手分野だった』とでも言えばいいのに。



何となく…

江を裏切る気がして…?



「あ、あの…さ…」


何とか気を取り直して、相手を宥めようとした発言を遮るように、


「…分かったよ。もういいから…」


降って来た言葉に、彩牙は焦る。
不快にさせてしまったかも知れないと、また考えをめぐらせていると。



ぽふっ。



とでも音がしそうな柔らかさで、彩牙の頭に江の大きな手が乗せられる。

龍景の手も確かに大きいが、江の手は指が長い。
密かに鍛錬している手は、女性のような華奢なのではなく、繊細。
彼の隠れた優しさがにじみ出るような、大きな手だ。

広く、どこまでも深い安らぎをもたらす、夜のような…。


「我ながら、無粋な事を聞いてしまったようだ…。彩牙は、龍景の事を思って口を閉ざしているんでしょ?」


ずばり的中されて、ぐうの音も出ず相手を見上げると、そこには…。

優しく包み込む、深い藍の瞳があった。

夜の瞳。


(…あれ?)


ドキドキと、心臓がいつの間にか早鐘を打ち始めている。

まるで、慌てて走ってきたかのように、それはなかなか治まらない。
それは先ほど、龍景の秘めた想いを知った時とは違う…。

切なくなるほど激しく、苦しく……甘いもの。


(俺…どうしちゃったんだろ…)


自然、顔が赤く染まっていくのが自覚できた。
江はいつも通りの笑みを浮かべ、そっと手を離す。

それが、不思議に悲しかった。
もっと、その大きな掌で撫でられていたかった…。


(…って、何考えているんだ、俺…!?)


自分の寝床に入り枕を抱くようにして瞳を瞑った後も、しばらくは眠りの精が訪れる気配はなかった。





月明かりに浮かぶ彼は、本当に美しいと思う。

聞かされた事のある、ヤトマの物語のように…ふっと月へ昇ってしまうのではないか。
そんな錯覚さえ覚えさせるほど。


「蓮飛さん…。」

「……龍景か。何してんだ、んなとこで。」


本を読んでいたため、呼び声に少し遅れて返事が返ってくる。

蓮飛の口調はけして綺麗ではない。
自分は敬語を習っているためあまり比較にはならないが、彩牙と比べると選ぶ言葉は品があるとは御世辞にも言えず、威嚇するような響きすら持っている。
彩牙は少年らしい、まだ幼い言葉遣いであって、品の有無とは違うところにある。
江もどちらかというと穏やかな言葉を選ぶ傾向にあるので、一番言葉が乱雑なのは蓮飛だと言える。


「さっさと入れ。そこにデカイのが突っ立ってられると集中も出来ねぇ。」


そそくさと入って遠慮がちに椅子へ座ると、蓮飛は本から顔を上げる。


「で?なんか用か?」

「え…えっと、用事ってほどのものではないんですけど…。」


頬杖をつくと、普段は前髪に隠されて見えにくい紅玉のような瞳が見える。
妙に艶を帯びているその色に、トクッ、と心臓が主張し始める。


「まさか、とは思うけど…江に弁解をしてくれって依頼じゃねぇだろうな。彩牙に惚れたんなら江に脳天ブチ抜かれる覚悟で行ってこい。」


やっぱりというべきか、蓮飛も誤解していたらしい。


「い、いえ、そうじゃなくて…。」


俺が惚れているのは、貴方です。


そう言えるなら、きっとこんなにも苦しまないで済むだろうに。
歯痒くて、どう言おうか思案する。


「…茶。」

「…はい?」

「突然俺の読書時間を邪魔して、時間を割かれてんだ。茶ぐらい淹れてもバチは当たらねぇだろ。」


少し考えて、少しだけ理解する。

これは、彼なりの了解で…心を少し許してくれている証拠なのだと。
…ひょっとすると彼は、単に不器用なのかもしれない。


「…はい。飛び切りおいしいお茶を入れてきますね。」

「90点以下の茶だったら捨てっからな。」

「はいっ。」


龍景は嬉しそうな顔を隠すように、備え付けられた簡易の台所に向かった。
ぶっきらぼうな言葉でさえ、愛らしく聞こえてしまう。


(俺は…すっかり、この人に心酔してしまっているな……)


----Next----Back----

by月堂 亜泉 2005/5/10