馳走になることになった夕食の手伝いを終えた彩牙は、鍋が煮立って夕餉が開始されるまでの、長くはないが短くも無い、ぽっかりと開いた時間にふと周りを見渡した。
江は居間で葎花にじゃれつかれながら愛銃の手入れをしていたし、蓮飛はまた書庫に籠もっていた。
それから鳶色の長い髪が見当たらない事に気付き、首をことりと傾げる。
書庫から溜息を吐いて出てきたはずの、龍景の姿が無い。
それからふと、今日の彼の態度を思い出し、探して見ると窓の外に彼はいた。
「りゅーぅけいっ!何してんだ?」
「ぅわぁっ!?」
隣から顔を覗き込むようにして声をかけると、長身の好青年は、手にしていた長剣を落としそうになった。
無心に素振りをしていたのかと思ったら、 何か考え事をしていたらしい。
「彩牙…、いや、少し身体を動かそうと思って」
「ふぅん?」
少し疑うような素振りをすると、龍景は剣を鞘に納めつつ、誤魔化すように笑った。
「どうしたんだ?あぁ、もう夕食かな?」
「ううん、夕飯はまだだよ。あのさ、ちょっと聞きたい事があって」
「俺に?」
不思議そうにしながら、わざわざ腰を屈めて目線を合わせてくれる龍景に、彩牙は僅かに躊躇しつつも口を開く。
「なぁ、龍景、最近変じゃないか?なんか蓮飛と一緒にいると、いつもの龍景じゃないみたい」
「えっ!?」
龍景は心底驚いたように目を丸くした。
夕暮れでよくわからないが、頬も赤くなったような気がする。
「…そんな、風に見えるのか?」
「うん」
温和な龍景が腹を立てたのなんて初めて見たし、蓮飛の回りに常についてまわっている。
蓮飛本人はまったく気付いていないけれど。
「露骨過ぎるのかな…」
とぶつぶつ呟いている龍景に、彩牙は僅かに眉を下げて、
「蓮飛が嫌いなわけじゃ、ないよな?…ほら、蓮飛はさ。さっぱりしてるっていうか、馴れ合わないっていうか…。そういう所があるんだけど、でも、本当は優しくていい奴なんだ。だから…っ」
「彩牙」
懸命に友人の弁護をしていると、龍景は柔らかな苦笑を浮かべた。
「大丈夫。わかっているよ」
その言葉の響きがあまりにも優しいので、彩牙の肩に入っていた力がすっと抜ける。
端正な顔に浮かんだ笑みは柔らかく、翡翠の瞳は優しい光を滲ませ、夕日を反射している長い髪は緩やかに揺れた。
夕暮に染まったそよ風が、彼を取り巻いていた。
「そ、それならいいんだ…」
相手の様子に、思わず顔が赤くなる。
けれどこの頬の赤みは相手に見惚れたからではなかった。
彩牙は無意識に悟ってしまったのだ。
彼は今、蓮飛のことを思っていて、この優しい彼の空気は、美しい親友に向けたものであることに。
そんな想いが滲み出ている彼の風を感じて、彩牙の方が恥ずかしくなってしまう。
「…蓮飛と、仲良くなれるといいな」
「え…っ!?」
「俺と初めて会った時も、そうだったんだ。蓮飛は自分の事を話してくれなくて。あまり近づけさせてくれなくて。でも俺たちは友達になれたからさ。きっと龍景も、すぐに仲良くなれるよ」
驚いたまま固まっている龍景に、丁寧に言葉を紡いだ。
ぎくりとしたように固まっていた彼は、ゆっくりと氷解し自嘲的な笑みを刻んだ後、彩牙の頭をぽんぽんと撫でた。
「ありがとう、彩牙。頑張ってみるよ」
にっこりと笑った彼に、彩牙も暖かい笑みを自然に浮かべた。
書庫から戻ってくると、江が窓の外をじっと食い入るように見つめていた。
どことなく鋭い雰囲気に気圧されつつ、蓮飛は後ろから声をかけた。
「何、見てんだ?」
「あぁ、蓮飛。………ちょっと不愉快な光景をね」
「は?」
妙な言い回しには棘があり、蓮飛は怪訝に思いながら江の傍らから夕陽の差し込む窓を覗いた。
そして目を丸くする。
夕陽に照らされた庭で、微笑み会う龍景と彩牙。
しかも屈んだ龍景は彩牙の頭を撫でていて、彩牙の頬はうっすらと赤く染まっている。
蓮飛は頭が混乱した。 自分の中で、地震が起こったようだった。
けれど、どうしてそんなにショックを受けるのか、自分では分からなかった。
「…龍景……」
低い地を這うような声に振り向くと、江が不自然なほどの笑顔を刻んでいて、蓮飛は思わず後ずさる。
「夕食の前に、試し撃ちをしてくるよ」
なんだか恐ろしい笑顔のまま、完璧に整備を終えた銃を手に、江は静かに出て行った。
「江が嫉妬したのなんて、初めて見た…」
残された蓮飛の呟きは、幸い、台所から駆けて来る葎花の耳には届かなかった。
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