第33話「闇の使者」



「えーと、ここがこう…だから…」


照らし合わせてみた石版と石碑は、ぴたりと符合した。
二つの遺産とも欠損が多いが、文章の配置が似ている。
何より、石碑の方にも石版と同じ位置に「赤い花」という言葉を読み取ることが出来た。


「ということは、石版で欠けてて読めない部分を、石碑で補えるとしたら…」


江が呟くよりも早く、蓮飛は石碑に駆け寄っていた。
その身の丈の2倍はある巨大な石碑はよく見ると、例の文様の上の方は、文字がちらほらと残っている。
ぱたぱたと戻ってきた蓮飛は石版を確認し、ぐるりと3人を見回す。
そして、龍景の前でぴたっと止まった。


「な、何ですか?」


じっと上目で見つめられて、思わず赤くなる頬が止められない。
蓮飛はすっと石碑を指差して、唐突に切り出す。


「お前、俺を肩車できるか?」

「はぃ!?」

「あんなに上じゃよく見えない。お前が一番背が高いんだ。できるか?」


一瞬、甘い妄想を描いた自分の頭を恥ずかしく思う。
蓮飛の言葉に、深い意味なんてあるはずがないのに。

──まだ自分は、彼に認められていない。


「はい。では、どうぞ」


石碑の前で屈んで背を向けると、懐から帳面とペンを取り出した蓮飛が乗ってくる。
しっかり足を支えてゆっくり立ち上がると、蓮飛の歓声が上がった。


「よーし、よく見えるっ!ちょっとそのまま動くなよ」

「は、はい…っ」


思わず声が上擦った。

肩に感じる重み、柔らかな感触、、暖かい体温……。

龍景は理性を総動員させたが、顔が赤くなるのだけは防げない。
彩牙にひっついたままの江が、愉快そうにくすくすと笑っている。


(くそ…、絶対、江さんにはバレてる……っ!)


ああやって彩牙に抱きついて笑っていられる江が、少し恨めしい。

不安定な状態で手早く書き留めた蓮飛が、降ろせと言うまで、龍景の心は乱れに乱れた。
蓮飛を降ろした後も動悸が納まらず、顔から湯気が出そうだった。


「蓮飛、わかりそう?」

「待てって…えーと…」


相変わらず無駄な抵抗を試みつつ、興味津々と彩牙が蓮飛の手元を覗き込む。
夢中になってる蓮飛が、書き取った文字と石板を見比べながら一字づつ音にしていく。


「…の者に、…大いなる…風の…加護…を…与えん」

「風の加護…?」


思わず全員で彩牙を見る。
太陽のような髪をした少年は、複雑な顔で笑った。
けれど聡明な彼は動揺を受け止め、笑みを浮かべるとすぐに石板を見やる。


「まだわかるところある?」

「あぁ、ここ…『黒き剣より大地を切り裂かれ』…ここまでしか読めないな」

「位置的に、どこか場所を示すものっぽいね」


ついに彩牙に振り払われた江が腕を組む。

相変わらず、何をしても様になる。
自分もそうであったら、蓮飛も気に掛けてくれるだろうか。

そんな風に飛んでしまった思考を、蓮飛の弾んだ声が遮った。


「わかった、コクトウだ!」

「え、なんで?」

「黒はコクと読むし、剣はヤトマ風に言えば刀、刀はトウという読み方もできる」


シュカの時と同じような謎かけ。
またしてもそこに何があるかはわからない。

が、とりあえずシュカ領に入った時点で、こうしてヤトマ所縁のものに出会ったのだ。
行く価値はあるだろう。


「じゃあ、次はコクトウな!」

「彩牙、簡単に言うけど大変なんだぞ。まだシュカ京にも行ってないし」

「まぁまぁ。長旅にはなるけど、シュカ京に寄ってからコクトウ京を目指そう」



そんながやがやと弾んだ空気を唐突に引き裂いたのは、未知の声。


「こりゃ驚いた。こんなトコに観光客がいるとはな」


「誰だ!」


素早く反応した江が、振り向き様に声の主に向かって二、三発発砲する。


「江っ、発砲すんな!遺蹟が傷つくだろっ」


呆気にとられた蓮飛の場違いな心配に、龍景はそっと耳打ちする。


「そんな事言ってる場合じゃないです!…殺気を感じました」


龍景は舌打ちしたくなりながら、長剣の柄に手を掛けた。
江が先頭に出て、彩牙は後ろ手に剣を掴んでいる。

恋情に囚われて反応が遅れるなど、情けなかった。


「別に、お前らに名乗る義理はねぇな」


そう言って柱の影から現れたのは、長身の赤毛の男。
軽薄そうな笑みを浮かべ、じっとこちらを観察する。
しかしその鈍い銀の瞳は、年代物のヤトマ刀のように怜悧である。
龍景が嫌悪感を覚えるタイプの人間だ。


「何の目的でここへ?」

「おぉ恐い。そりゃお互い様だろうが」


くつくつと男は嗤い、尻尾のように波状に流れる赤い癖毛を跳ねさせた。


「おい、いつまで遊んでいる」


凛と突き抜けたボーイソプラノが突然上がり、相手は一人だと思い込んでいた龍景は、正直、かなり驚いた。
今度は自分のミスではない。
殺気が無いどころか、気配がまるでなかった。

赤毛男の背後から現れたのは、黒いローブに全身を覆った小柄な人物だった。
フードを被っているせいで顔は分からないが、隙間から肩口まである金の髪が零れている。
彼はじろりとこちらを見回した。

恐い。

思わず後ずさろうとする足を押し留める。


「どうする、殺すか?」


何気なく吐かれた言葉に戦慄する。
本能が危険だと叫ぶ。

金髪は辺りを見回して、ふと彩牙を見た。
じっと注がれる視線に緊張しながら、彩牙が息を止めていると。


「…いや、いい。」


冷淡に落とされたのは、否定。


「行くぞ」

「待て、何者だと聞いたはずだ」


冷静な低音の江の声はよく響く。
そして江の愛銃が発した弾は、見事に踵を返そうとする男の足元に打ち込まれていた。


「教える義理もない」


それでも黒装束の少年が怜悧な一瞥を返すと、赤毛の男がその前に立ちはだかる。


「じゃあな」

「待てっ!」


彩牙が駆け出そうとした瞬間、辺りがまばゆい光に包まれ、次に瞳を開けた時にはもう影も形もなかった。


「呪法使い…?」


蓮飛の呟きが静寂にぽとりと落ちた。






「おい、よかったのか?あいつら生かしておいて。あの場所にいたんだ、関係者じゃない訳がねぇ。計画の邪魔になったら、帝に怒られんぜ?」


トンと、宙から降り立った男は、赤毛を揺らして後ろの若き天才呪法師を振り向く。


「かまわないだろう。今回の任務は完了した」

「そりゃ、確かに鏡は置いてきたけどよ。」


へらりと笑みを浮かべる男を置き去りにして、少年は歩き出す。


「…橙頭の少年がいただろう」

「あ?」


脈絡の無い言葉に男が顔をしかめると、少年は不意に立ち止まる。


「あれは特別だ…あれこそおそらく風の…」

「って、おい!待て」


一人ごちて再び足を持ち上げる。
残された男は、恐怖を喚起する微笑を浮かべた少年の後を追いかけた。


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by穂高 2005/4/14