すっかり夜の帳が落ちた頃。
龍景はなんとなく凝ってしまった肩を解しながら、書斎に向かった。
女の子というものは、どうしてあんなに大人の真似をしたがるのだろう。
葎花は利発な少女だった。
つまり、ませたお子様で。
根掘り葉掘りと色々聞きだかり、いちいち答えていた龍景は、すっかり精神的に疲れてしまっていた。
しかし、一つだけ収穫があった。
葎花に連れて行かれた、彼女のお気に入りの場所。
(あれは……古代の遺跡…)
未だに1000年以上前の過去の残滓が、風化されつつも残っているとは思わなかった。
明日、彩牙や江にも報告して、皆で出かけてみるのもいいかもしれない。
そんな事を考えながら、書斎の扉を叩く。
夕食をご馳走になった後も、蓮飛は一人で調べ物を続けていた。
すぐに短い応えが返り、龍景は静かに部屋に滑り込んだ。
「すみません、たいしてお手伝いもせずに…」
「別にかまわねぇよ。どうせ、お前読めねぇだろ?」
書斎机の所に座っている蓮飛は、手にしている書物から目を離さずに言った。
なぜだか、ほんの少し棘がある気がする。
「…あの、もうお休みになられた方がいいですよ?もう夜も更けてきましたし。続きは明日に回して…」
「俺は平気だ。疲れたんなら先に寝ていいぞ。…あぁ、葎花に添い寝でもしてやればいい。喜ぶだろ?」
ぐさっ。
と、蓮飛の言葉は龍景に突き刺さる。
本当に何故だかは分からないが、なんだか蓮飛の纏う空気が鋭い。
「…やっぱり、怒ってるんですか?」
「怒ってねぇよ…」
まるで少し怯えた犬のような、情けない顔をしつつ、龍景は蓮飛の傍らに立つ。
伺うように覗き込むと、蓮飛はぱっと顔を上げた。
「お前、何か勘違いしてないか?俺は女でもないし、子供でもない。優しくする必要なんかねぇんだよ」
「えっ!?別に、俺は、そんなつもりは…っ」
思いがけない蓮飛の言葉にたじろぐ。
「じゃあ、お前は誰でも抱き締めるわけだ?上流階級の礼儀ってやつか」
「な…っ!」
吐き捨てるような蓮飛の物言いに、さすがの龍景も腹の底に炎が灯る。
彼が言っているのは、昨夜の自分の行動だろう。
あの時、自分は、彼を───。
「そんなつもりはありません!葎花と蓮飛さんは違います。蓮飛さんを子供や女性のように扱ってなど…!」
無言で蓮飛はガラスのように透明で怜悧な瞳に、龍景を映した。
その奥に揺れるほんの少しの戸惑いに、龍景は気づかない。
「違うんです!信じてください。俺は…っ」
あの時、勝手に、身体が動いていた。
けれどそれは、習慣だとか、そんなものではなくて。
鷹揚すぎる貴族たちの態度は、龍景にとってむしろ嫌悪に値する。
誤解を必死に解こうとする龍景に、蓮飛は大きく溜息をついた。
「わーったって!何をそんなにムキになってんだよ」
「え…っ」
鼓動が、跳ねる。
ひらひらと手を振る蓮飛に、心中の困惑をなんとか押し隠す。
「わかったから、さっさと寝ろよ。もうだいぶ遅いぜ?」
「……蓮飛さんは?」
「キリがいいとこで終わりにすっから。すぐ寝るよ」
再び書物に顔を向けた蓮飛の姿に追い出されるようにして、龍景は渋々部屋を出た。
(俺は、どうして、あんなにムキになってたんだ…?)
頭をぐるぐると回る疑問は、先ほどの自分と、昨夜の自分の行動。
(どうして、俺は、彼を……)
台所を借りて茶を淹れながら、龍景は自問自答を繰り返す。
(ただ俺は…、彼に悲しい顔をして欲しくない…。辛い思いをしてほしくない…。誰にも頼らない彼を守りたい…。抱き締めて、温もりを…。)
想像した瞬間、鼓動が跳ね上がる。
思わず湯飲みを落としそうになり、慌てて顔まで赤らめてしまう。
分かって、しまった───。
淹れた茶を持って再び書斎を訪れると、蓮飛は机に突っ伏して眠ってしまっていた。
やはり相当、疲れが溜まっているのだろう。
盆を置いて、手近にあった毛布をそっとかけてやる。
すぅすぅと静かに眠る姿は、意外にあどけなくて可愛らしい。
また一つ。
跳ねた鼓動に、龍景は漏らしそうになった溜息を堪えた。
「どうしよう…蓮飛さん…」
無意識に言葉に反して、優しい響きの声が紡がれる。
(俺は、貴方を………好きになってしまったようです…)
付けられたランプの明かりが、柔らかい空気に切なく揺れた。
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