第25話「ヤトマとハイアン」



「随分と、ヤトマにお詳しいんですね」


しんと一瞬貫いた沈黙は、その一言で霧散した。
龍景は、唐突な話題に置いて行かれながら蓮飛を見つめる。


「俺達は、ヤトマ語で書かれた石版について調べに来たんだ」


そうですか、と思案するように俯いた母親に、葎花は不安そうな顔を向ける。
それに気付いたのか、彼女は葎花に微笑んでみせた。


「…いいでしょう。葎花もお世話になった事ですし、見たところ貴方がたは悪い方たちには見えません。」

「じゃあ話してくれ」


強い瞳で見つめる蓮飛に、彼女は押されるように重い口を開いた。


「……全て、夫の形見なんです。夫は…、ヤトマ人でした…」







「龍景お兄ちゃんっ!早く早くーっ!」
「あぁ葎花、そんなに引っ張らなくてもちゃんとついて行くよ」


ぐいぐいと手を引いて先導する小さな背に苦笑する。
そして先刻の出来事を思い返した。

結局、夫人はあの一言以上ほとんど口を割らなかった。






「お願いします!どんなささいな手掛かりでも欲しいんです。両親に会いたいんです!」


真剣な顔で、彩牙が頭を下げて頼み込む。
しかしそれでも夫人の首が縦に振られる事はなく、


「ごめんなさい。…夫が何を知り、何をしていたのか、たとえ血縁でさえも明かしてはならないのです。これはヤトマの掟。妻として、私は守らなければなりません」
「そんな…っ」


彩牙が顔を眉を下げると、夫人も辛そうに顔を歪めた。
彩牙の前に散々追究した蓮飛も眉を顰めた。
二人ともヤトマについての情報は、喉から手が出る程のはずだ。

行方をくらました両親の手がかりと。
ハイアン人とヤトマ人とのハーフとしての探究。

成り行きで付いて来た自分とは違い、当然だった。
数秒の沈黙が張り詰めた時、夫人はそっと息を吐いた。


「………その代わりと言ってはなんですが、…シュカに滞在中はいつでもこの家に来て下さって構いません。自由に見て回ってください」


その言葉では、もう引き下がるしかなかった。















規則の厳しいヤトマの風習の中で、夫人はかなりの妥協をしてくれたのだ。
見て回っていいという事は、目につく所にあるものは、自由に調べて良いということだ。
そこに、石版に繋がる手がかりがあったとしても。
自ら口を割ることができない中での、夫人の精一杯の思いやりだったのだろう。

それに、ヤトマ人がそれほど珍しいわけでもない。
かつて大陸全土を支配していたヤトマ帝国は、かつてない栄華を極めた後、唐突に崩壊した。
西の小国だったハイアンが、西域諸国と手を結び侵攻したのだ。
大戦の後、ついに降伏したヤトマは東の小さな島国に追いやられた。
が、彼等の技術は優秀で、ヤトマ国を再興するのに、そう時間はかからなかった。
そして現在は休戦協定も結ばれ、互いに友好関係を築いている。
大陸東沿岸部にはヤトマ人も多く住み、交流が盛んだ。

それが初等学舎の教科書に書かれている、この国の歴史だ。
1000年以上前の、大地の記憶。


だからヤトマのものが、そんなに珍しいわけではない。
しかしそれでも葎花の家のように、古式ゆかしいものの現存は希少だったし、国の西部に住むヤトマ人は少ない。
だからこそ、蓮飛は詰問したのだろうが。

その蓮飛は、葎花の家の書斎で本を漁っている。
つい数分前まで龍景もそこにいたのだが…。


「なんで、俺まで追い出されたんだろう…?」


龍景は首を傾げた。
葎花に案内されて書斎に通された蓮飛と龍景は、その古い背表紙の列に驚いた。
何かある可能性は高いと、蓮飛は意気揚々と本棚を漁り始める。
龍景もいくつか本を手にとってみたが、それはほとんどヤトマ語で書かれていて正直お手上げ状態。
でも“家”で教育された龍景はヤトマ語が全く分からない訳ではないので、良さそうな資料を探して蓮飛に渡すことにした。
そうして作業を開始しようとした時、葎花が龍景に抱きついた。
湖での一件のせいか、葎花はいたく龍景がお気に召したらしい。
資料を探す龍景の後について周り、


「どこから来たの?」
「綺麗な髪だね。触っていーい?」
「龍景お兄ちゃんって彼女いるの?」


などなど。無邪気な笑顔と質問が大量に飛んでくる。
それに丁寧に返事を返していた龍景は、いきなり葎花に飛びつかれて咄嗟に彼女を抱きとめた。
その瞬間。


「龍景っ!葎花と外で仲良くしてきたらどうだ?」


陶磁のように美しい頬を微かに高潮させ、青筋を立てた蓮飛は二人を威圧した。



「…本を読むには、五月蝿すぎたのだろうけど…。それなら葎花だけでも…。」
「何か言った?龍景お兄ちゃん」
「いいや、何でもないよ」
「えへへっ、私のとっておきの場所に連れて行ってあげるからねっ♪」


蓮飛の傍にいたかった龍景は少し落胆していた。
けれど、自分の手をご機嫌で引く少女に悪意は無く、とても幼い。
そんな葎花を見捨てることもできず、仕方なく付き従うしかなかった。



孫 龍景。
温室育ち故か、果てしなく鈍い男。
まさか自分が葎花を抱きとめた行為に、蓮飛が反応しただなんて思える訳が無かった。






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by穂高 2005/02/01