第21話「戸惑いの夜」



風が、物悲しい静寂に揺れていた。
さらさらと龍景の長い髪を撫でては、微かな冷たさを残していく。
夜の帳が落ちきった空は、遠くに聞こえる酒場の賑わいとは裏腹に凍るように澄み渡り、小さな星々がちらちらと瞬いていた。

それを一人、龍景は宿の入り口に座り込んで見上げていた。
翡翠の瞳はぼんやりと静夜を映していたが、しかし龍景の心にまでは届かない。



脳裏に浮かぶのは、ただ、麗しい二色の瞳。


「蓮飛さん…。」


彼はまだ、戻っていない。

洞窟で別れた時、本当は蓮飛と共に残りたかった。
彩牙の事は確かに心配だったが、年長者の江がいれば大丈夫だっただろうから。
それよりも、気がかりなのは。


「一人で背負う必要なんて、ないのに…」


蓮飛は、彩牙の能力のことを異様に気にしている。その力で彩牙が傷つくことを恐れているから。
昨夜からの様子を見ていれば、すぐに分かることだった。
それは卜者としての責任感なのかもしれない。
星の動きを知り、人を導くのも陰陽師の役目。


けれど。

なぜ、彼があんな顔をしなければならない?


龍景は溜息を吐いた。
蓮飛の表情が忘れられず、しかし自分には何も出来ない。

彼の苦しみを、痛みを。
ほんの僅かでいいから、和らげることが出来たら。

己の不甲斐なさに、龍景は肩を落とした。
宿の周りはひっそりとして、変わらず待ち人の影も形も無い。


「…どうすれば」



どうすれば、貴方の近くに行けますか…?





再び思考の波に飲まれて、どれほど経っただろう。
ふと、不確かに土を踏む微かな物音に龍景は顔を上げた。
俯き加減でゆっくりとこちらに歩いてくるのは、焦がれていた待ち人。


「蓮飛さん!」


思わず立ち上がり名を呼ぶと、蓮飛は弾かれたように顔を上げた。
ひどく傷ついたような、憔悴した表情。
しかしそれが見えたのは一瞬で、龍景と目が合った時にはいつも通りの顔になっていた。


「…こんなとこで何やってんだ?」


不思議そうに首を傾げる、その仕草も表情も、作られたもの。
龍景は、知らず知らずに拳を握り締めた。


「貴方を待っていました。」

「何かあったのか?」

「…いいえ、彩牙なら、部屋で江さんと一緒にいますよ。」

「じゃあ、何だよ。野暮用だって言っただろ?部屋で待ってりゃ良かったじゃんか」


彩牙の無事を聞いて少し安心したように言う彼に、龍景は眉を顰めた。

自分自身、何故ここにいるのか、わからなかった。
ただ。
部屋にいても頭の中に蓮飛のことばかり思い起こされて、心配で堪らなくて、居ても立ってもいられなかった。
彼の背中が拒んでいなければ、本当は、あの洞窟まで迎えに行きたかったくらいで。


「……昼間も言いました。」

「は?」


俯いた龍景の顔は、長い髪が影を作って見えない。
落とされた呟きがどこかくすんで響き、蓮飛が首を傾げながら近づいてくる。
ほんの少しだけ、右足を引き摺りながら。


「彩牙のことを、蓮飛さん一人が背負う必要はないと。…あの魔物たちを浄化して来たのでしょう?」

「…………。別に、俺が何しようと勝手だろ」


抑えられた声は、冷たい色を乗せる。
わざとらしかった。他人には分からぬほどの、ほんの小さな亀裂。

その表情は。声は。姿は。

痛々しくて────…。



気がついた時には、蓮飛をきつく抱き締めていた。






----Next----Back----



by穂高 2004/12/24