第17話「穴の底」



咄嗟に伸ばした腕は、届かなかった。



白い衣が閃くのを視界に入れながら落ち、受け身を取るのが精一杯だった。
ゆるりと浮上する意識。
瞳を開けても広がるのは暗闇だったが、ぱらぱらと小石が落ちる音が聞こえ、気を失ったのが実際にはものの数秒であることを知る。
したたか打ち付けた背中をさすり起き上がった。身体に大事は無さそうだ。


「蓮飛さん、無事ですか?」


地上の光はここまでは届かず、奥行きの分からない闇の中、龍景は少し大きめの声で呼び掛けた。


「…龍景?」


そう遠くはない所から存外しっかりとした応えがあり、龍景はほっと胸を撫で下ろす。
しかし声はすれども姿は見えず、仕方がないので四つん這いになり手探りで声のする方に向かう。


「怪我はありませんか?」
「…ちょっと擦りむいたぐらいだ。たいしたことない。お前は?」
「俺も無事です。どこにいますか…?」
「ちょっと待ってろ。今、明かりを…」


暗闇に目を懲らしながら数歩進むと、手に温かなものが触れる。


「わっ!」
「え!?」


ぱっと辺りが明るくなると目の前に蓮飛の顔があり、自分の右手が触れているものが彼のたおやかな手であると初めて認識する。
と同時に、二人して慌てて手を引っ込めた。
ほっそりとした滑らかな感触が残っているようで、龍景の胸は高鳴る。
それをなんとか誤魔化すように龍景は口を開いた。


「そ、その明かりは?」
「あ、あぁ、…俺がつけた。」


空中にふわふわと小さな発光体が揺れている。


「便利な魔法ですねー」
「魔法じゃない、呪法だ。日曜星の」


きっぱり言い放った彼の頬は灯りに照らされているせいか、ほんのり色づいていた。
そんな蓮飛に手を貸しながら立ち上がる。


「だいぶ落とされましたね…、登れそうにない」


見上げた頭上はかなり高い。
どうやらぽっかりと抜け落ちたらしく、周囲にはよじ登れるような取っ掛かりすらなかった。
地上に置き去りにした二人は、今頃戦っているのだろうか。


「くそっ」


苛立たしげに小さく悪態を吐いた蓮飛は、どこかに駆け出そうとした。それを慌てて引き留める。


「どこに行くんです?」
「どこって決まってるだろ!?上に戻んだよ!」
「道も分からないのに?」
「!」


掴んだ腕を振り払って少し焦った様子で怒鳴る蓮飛に、龍景は冷静だった。
二人が落ちた場所は少し広い空間になっていて、周囲に5つほどの横穴が確認できる。
このままここにいても仕方がないが、何が出るかわからない以上、闇雲に歩き回るのも危険だ。


「落ち着いてください。蓮飛さんらしくないです。あの二人ならそう簡単に負けませんよ」
「うるさいっ!んな悠長な事言ってる場合じゃねぇだろ?早くしないと、彩牙が…」
「彩牙?…彼が、どうかしたんですか?」
「……。」


しまったという顔をして、蓮飛は急に黙り込んだ。
しかし、じっと真っ直ぐに見つめる龍景の目に逆らえず、重い口を開く。


「彩牙に……、辛い思いをさせたくない」
「…例の『声』ですか」


少し普段の冷静さを取り戻した彼は、渋い顔でこくりと頷いた。
彩牙の不思議な能力については、龍景も道すがら蓮飛から聞いていた。
それで、ストンと腑に落ちる。


「だから突撃したって言うんですか?蓮飛さんは遠距離専門でしょう?無茶しすぎです。そういうのは俺と彩牙の役目です」


分かった途端に胸の奥から沸々と怒りにも似た感情が湧いてきて、自然と調子がきつくなる。
温厚な龍景の鋭い一面に戸惑ったのか、僅かに肩を揺らした蓮飛の反論が遅れる。


「で、でも!」
「彩牙の事を蓮飛さん一人が気負うことないでしょう?彩牙なら今頃、江さんがなんとかしてるはずです。それよりも冷静になって、脱出経路を考えた方が早く合流できます」


正論に返す余地はなく、押し黙る蓮飛にふっと表情を緩めて龍景は続ける。


「それに、怪我が無いなんて嘘でしょう?」


驚いたように見開かれた双色の瞳が、龍景を見上げる。
それに構わず龍景は蓮飛の前に跪いて、そっと右足首に触れた。


「痛みはどの程度です?歩けますか?」
「……よく、わかったな」
「さっき手をお貸しした時に。立ち上がり方が、少し不自然でした」


呆然とする彼ににこりと微笑みかけると、軽い溜息がひとつ落とされた。


「妙なところ鋭いんだな…。本当にたいしたことねぇよ。軽く捻っただけだ。自分で歩ける」
「本当に?おんぶでもなんでもしますよ?」
「なっ!そ、それはいい!本当に平気だ!」
「そうですか?じゃあ、辛くなったら俺に掴まってくださいね」
「あぁ、わかったよ…」


根負けした蓮飛は、差し出した腕に渋々そっと掴まった。
一安心して辺りを見回すと、5つある横穴のうちの1つから僅かに風の流れを感じる。
それを蓮飛に伝えると、急にはっとした顔をして横穴をじっと見つめた。


「邪なる気……なんでこんなに満ち溢れてるんだ…」
「え?」
「行くぞ、何かある」
「は、はい。」


蓮飛の急に尖った雰囲気に呑まれながら、龍景は彼を支えて横穴に入っていった。





カツカツと蓮飛の長靴と龍景の革靴が、冷たい石の上を響かせる。
進むにつれて、蓮飛の美しい瞳に走る光は鋭さを増していった。
そんな様子を気にかけながら少し進むと、前方が仄かに明るくなっている。
どこか開けた場所に続いているようだ。


「なんですか…これ…………鏡?」


辿り付いたその景色は不可思議だった。
小さな開けた空間の中央に設置された祭壇のようなものの上。
禍々しい光を発しながら、それは鎮座していた。


「魔鏡?まさか、これが魔物を…」
「え?」


ぽつりと零れた言葉の意味が分からず問おうとした時、背後に走る気配。


「お客さん…ですね。下がっていてください」
「おいっ、なに格好つけてんだよ!この数じゃ…!」


文句を言う蓮飛を庇うように背後に押し込め、龍景は背負っている長剣を抜き去り構える。
不愉快な唸り声をあげながら、数十匹もの甲羅蜥蜴の子供たちが今にも襲い掛かろうとじっとこちらを伺っていた。


「蓮飛さんの手は煩わせませんよ。…俺一人で、十分!」


カチャリと鍔を鳴らして、龍景は地面を蹴り上げた。





----Next----Back----



by穂高 2004/12/4