第13話「清浄なる者」



「すっげー!すげーよ、蓮飛!」


明るく弾んだ彩牙の声が沈黙に支配されていた空間を裂いて、ざわめきから安堵の溜息へと変わる。


「うわっ!何だよ、こんくらいで騒ぐなって」
「こんくらいじゃないって!すげー綺麗だった!」


彩牙に抱き着かれた蓮飛は払うのも面倒なようで、そのまま好きにさせている。
美しい黒猫に、可愛らしい子犬がじゃれついているようで微笑ましい。
そんな様子に目を細め何気なくふと隣を見た江は、思わず吹き出しそうになって必死に堪えた。
もちろん表情には全く出さないが。

(固まっちゃって…、若いなぁ)

美しい男巫女に魅入られた世間知らずの誠実な青年は、地面に括り付けられたように微動だにせず、一心に視線を注いでいた。
それは、痛いほど真っすぐに。

(まったく、こちらが恥ずかしくなってしまうよ)

江は楽しげに笑みを漏らし、龍景の耳元に唇を寄せる。


「誰を見ているんだい、龍景…?」
「えっ!?」


やっと我に帰った龍景は勢い良く振り向いて、頬を赤く染めた。
分かりやすい反応に、江の笑みはますます深くなる。
もう少し遊んでやろうと企んでいると、残念ながら宿屋の主人に声をかけられた。


「いやぁ、あなた方がいてくれて助かりました。おかげで多少の怪我人はいるものの、みな無事です。被害も少なくて済みました」
「いえ、冒険者としての義務を果たしたまでですから」


冒険者──正確に言えば冒険者ギルドに登録している者──は、国内外を自由に行き来する権利を保護される代わりに、行く先々で遭遇したトラブルにおいて、可能な限りの協力を惜しむべらかずという暗黙のルールがある。
もちろん無償で動くことは稀だが、今回は例外だろう。


「お気になさらず…それより、こんな事がこの町ではよくあるのですか?町中まで入り込むなんて聞いた事がない」
「いいえ、こんな事は初めてです。確かに最近魔物どもが凶暴になってきて、町の外で被害は出ていたのですが……まさか、こんな…」


低知能な魔物と言えども、縄張り意識ぐらいはある。
集落の境界線を越えて襲撃してくるなんて、ただ事ではない。
口元に手を当てて思案していた江は、ふと白銀の懐中時計を取り出し時刻を確認すると妥協策を提案することにした。


「今夜はもう、二度目は無いでしょう。詳しい話は明朝に……」
「触るな!!」


その言葉を遮って、突然、鋭い声が飛んだ。
驚いて振り向くと、彩牙が目を丸くして制止していた。
彼の手は、足元で黒焦げになった魔物の遺骸に届く直前で固まっている。
声の主である蓮飛は隣で驚いている龍景もそのままに、つかつかと彩牙に歩み寄った。


「…彩牙、そんなモンに触んじゃねーよ」
「え?」


予想外の展開に彩牙が怯えたように身を竦めているのに気付いたのか、すぐに幾分か蓮飛の声や表情は和らいだ。


「こんなデカブツ、お前一人じゃ片付けらんないだろーが。それに……、とりあえず服直した方がいいんじゃねーの?」
「ぇ、あ!」


蓮飛にからかわれてまだ肌蹴たままだった胸元に気付いた彩牙は、赤くなって慌てて上着の前を掻き合わせた。
小動物的な可愛らしい仕草に思わず笑ってしまう。
ふっと、場に走っていた緊張が解けた。
龍景がほっと胸を撫で下ろしている。
そのまま蓮飛は何だかんだと理由をつけて、彩牙を部屋に追いやってしまった。



────何か、不自然だった。

それは付き合いの長い江でなければ分からない程の、僅かなものだったけれど。
江は蓮に近づいて、声をひそめて囁くように尋ねる。


「どうして、あんなことを…?」


彼は聖と魔を知る者、世界の理を知る者。
だから彼は、魔を避けはしない。

それなのに。


「…彩牙は、触れちゃ駄目なんだよ。アイツは『清浄の者』だ。」
「『清浄の者』?」
「俺もよくは分かんねー…。直感みたいなモンだからな。でも、アイツは汚しちゃいけない、そんな気がすんだよ…。まして、魔物に同情するなんて」


蓮飛は複雑そうに睫毛を伏せた。
美しい影を落とした瞳は、戸惑いに揺れながら慈愛にも似た光を宿していた。


「蓮飛さーんっ、江さーん!俺一人でなんて無理ですよ!手伝ってくださいよ〜…」


気を削がれる情けない言葉に、二人して振り向く。
龍景は一人、巨大な遺骸の処理に格闘していた。


「あーぁ、何やってんだよ…」


ガシガシと黒髪を掻き交ぜ、蓮飛が呆れたように呟いた。





町人たちと共に処理を終えて部屋に戻ると、明かりは灯っておらず、彩牙は開け放たれた窓際にそっと佇んでいた。
てっきり寝ているものと思っていた江は、意外さに目を見張る。
いや、それだけではない。
あまりにも幻想的な光景が、江の目を奪った。


そこにあるのは平生、陽光の中で身を踊らせる大輪の花のような彩牙の姿ではなかった。

ぴょんぴょんと跳ねているオレンジの癖毛が、月光の中でささやかな夜風に揺れキラキラと光を反射していて。
窓枠に寄りかかるようにして空を見上げている彼の、澄んだ空色の瞳は軽く伏せられ、どこか憂えるような影を帯びて。
よく動く口は、今は軽く引き結ばれ、暖色のふっくりとした唇が艶やかに光を乗せて。
綺麗に日に焼けた肌は、夜の光のせいで昼間より青白く彩られて。



それは第一印象とは真逆の、月光の中で儚く震える小さな華のような姿。



声をかけるのも躊躇われたが、静寂に包まれる彩牙は今にも消え入りそうな気がして、江は無理やり音を発した。


「灯り、つけないの?」
「…江!?」


今まで江の気配に気づかなかったのだろう。
慌てて振り返った彩牙は江を視界に入れると、即座に蓮飛と戯れていた頃の表情に戻った。
訝しみながらも顔には出さずに、江は彩牙の隣に並ぶ。


「先に寝ようかと思って、寝るとこだったから。でも、なんか月を見てたくなってさ」
「……そう。あっちは片付けたよ。詳しいことは明日聞くことになったから」
「そっか、わかった。んじゃ、もう寝なきゃなーっ。真夜中だし!」


軽く伸びをして寝台に向かおうとする彩牙の腕をとっさに掴む。
驚いたように目を見開いた彩牙を、そのまま引き戻した。


「どうして…、そんな顔をしているんだい?」
「え?……何言ってんだよ!俺は元からこういう顔……」
「じゃないでしょ?」
「…………。」


真剣な江の視線にぶつかって、彩牙は言葉を詰まらせた。
逃げられないと悟ったのか、切なげな表情を浮かべた彩牙はそっと重い口を開いた。


「あの魔物…、なんであんな事したのかな。もしかしたら、何か、訳が…」
「彩牙、同情は不要だよ。何があろうと魔物は魔物。人間を襲うなら、それを倒すのは当然なんだ。自然の摂理なんだよ。」
「わかってるよ!だけど……聞こえたんだ。風に乗って…」


彩牙は江の腕を振り払い、再び窓辺に歩み寄った。
理解できず眉を顰める江に、彩牙がくるりと振り返った瞬間。




「あの魔物の声が」


静かに落とされた言の葉と同時に、背後から吹き込んだ風が彩牙を煌かせ、江は眩さにただ目を細めるしかなかった。








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by穂高 2004/11/13