しっかりとした質量のある物が崩れ落ちる耳障りな音が、背後で重なっていく。
“左腕を変形させた盾”で爆発の衝撃を防ぎながら、カイトはトンファーの赤黒い汚れを振り落とす。
それから先陣を切って刀を振るう同胞を視界に収めた。
涼やかな髪と色白の肌、白い礼服が、軽やかに宙を舞っている。
血を浴びてさえいなければ、男でも見惚れるくらいの優雅な舞。
しかし、カイトは知っている。
任務遂行中のレイは、元々乏しい表情がさらに貧しくなり、燃えるような紅の瞳は冷たい鉱物の色をしていることを。
己に向かってくる一般人に毛が生えた程度のテロリストを殴り飛ばしながら、カイトは舌打ちする。
「やりきれねぇな…」
先刻まで人間だった肉塊で足の踏み場もない倉庫を見回して、カイトは戦闘状態を解除した。
頬に跳ねた、生温く鉄臭い液体を拭う。
「生命反応、無し。任務終了。……レイ、撤収するぞ」
「了解」
剣を収めていた年下の青年は、小さく頷いて応えた。
その刹那、なるべく戦場を見ないように踵を返そうとしたカイトの双色の瞳に、幼く小さな手が飛び込んだ。
何かを必死に掴もうと天に翳したままの格好で、手首から切り落とされた、無垢で白かっただろう幼い手。
「泣くくらいなら、やめておけ」
「!」
隣に並んだレイの、まるで血を固めたようなルビーの瞳がこちらを奥底まで見抜いてくる。
反射的に目元に指を伸ばすが、濡れはしなかった。
むしろ乾ききって冷えている。
けれどレイは決して嘘を口にしないことも、カイトは知っていた。
彼はこちらが無意識に暗闇に沈めている事さえ、透明な浮き彫りにさせる人間だった。
カイトは乾いている瞳と頬を、童子のようにくしゃりと歪めた。
「…………そうだな」
胸にぽっかりと開いて赤黒く凝っている風穴が、軋むような音を立てた。
心のうちにある、秘めた渇望が浮かび上がってくる。
自分は闇人形(ダークドール)としては、欠陥品であるということ。
殺しに向かない心根など、この戦場では重荷でしかなかった。
正直なところ、カオスに消されても構わないから任務を放棄したいと、幾度、願ったかしれない。
これ以上、罪なき人々を手にかけずに済むのなら、それは安い対価である。
しかしカイトは、絶対にそれを実行できない。
『生きて……カイト………』
いつだって懐かしく、優しく、真綿のように柔らかく、残酷な痛みをもって訪れる。
『……どんなに汚れても、いいから……生き抜いて……』
遠い女の声。
それは甘く澄んだ呪縛だ。
彼女と出会ったのは、初めての戦闘訓練で手荒い歓迎を受け運び込まれた医務室だった。
闇人形(ダークドール)のNo.6として生まれ変わって間もなかったカイトは、能力をうまく制御できず、
自分の左腕に深手を負うという代償をもって訓練相手を死亡させ、勝利を手にした。
後味が、悪過ぎる。
カイトはぼんやりと宙を眺めて、顔を腕で覆った。
「そんなんじゃ、保たないわよ。身体も、心も」
唐突な女の声は不用意にかけられたようでいて、相手の隙を突くものだった。
「君は…?」
間の抜けた答えを帰すと、女は呆れたように肩を竦めた。
癖のないさらさらとした髪を2つに結った、華奢で小柄な体躯で小作りな顔の美人である。
意志の強そうな眉と、すっきりした額が瞳に残るような。
「はじめまして、No.6。私はNo.7。貴方と同期よ」
「すまない、同僚を覚える暇がなくて」
「ふふ、いいのよ。どうせ生き残らなきゃ、肩を並べることもないもの」
素早く的確な手当てを施しながら僅かに微笑む彼女の口振りには、あってしかるべき悲哀が感じられなかった。
「ずいぶんクールなんだな」
「………………そうでもないわ」
するすると巻かれていく白すぎる包帯の動きが止まり、彼女と視線がかち合った。
思いがけず真っ直ぐに燃える瞳に、息を飲む。
「ただ、生き残りたいだけよ」
そのとき、カイトは凍結していた頭の中が融けだした気がした。
心臓の奥に、燈が灯る。
彼は、彼女に自分の光を見い出せることを悟ってしまったのだ。
「…君、名前は?」
「は?だからNo.7だって言ったじゃない」
「そうじゃない」
遮るように手をかざして、カイトは久方ぶりに悪戯小僧のように笑んだ。
「君の、本当の名前」
目を丸くした彼女は、彼につられるように先程よりもずっと温度の高い子供っぽい笑みを零した。
「リリィよ」
機械が発する振動音に耳を塞がれるような司令室の巨大モニターには、先日の掃討作戦のデータと街の地図など複数の画面が表示されていた。
頭部に取り付けた機械画面と、モニターを見比べるルシファーの指が、複数のキーボードの上を軽やかに滑っている。
「…南が完全に制圧された今、反政府組織(レジスタンス)は北と東に集まりつつあるようです。
しかし、西を手薄にするわけにも行かないですし、さらに西のB地区の医師連中の腕は確かです。
したがって兵力回復を阻止するために、次に潰すのは西が得策かと」
「…急いては事をし損じる、か」
「完全な絶望は周到に用意されるべきだと、僕は思います」
淡々と事務的に氷雨のような言葉を紡ぐ、機械づくめの漆黒の堕天使。
金細工の長い髪を無造作に流している抜き身の剣のような男は、満足げな笑みを刻んで腕を組み直した。
カイトはその傍らに影のように控えながら、過去の残像に弄ばれていた。
彼女の名を知った日のことを。
かつて在った刹那の幸福を。
「…カイト、お前の心は何処にある?」
はっとして回顧から戻ると、思った以上に近くカオスの顔があり、内心慌てた。 が、そんなこと億尾にも出さず、彼は微笑の仮面を被る。
「ただ一人。忠誠を誓う方のもとに」
いっそう鋭い瞳の光がカイトに突き刺さり、まるで仮面の下を透視されたような気がした。
背中を冷たい汗が伝い落ちる。カイトは恐怖に緊縛されていた。
息を殺して内側の動揺を隠す青年に、カオスは慈しむように目を細めて笑った。
それは嘲笑に似ていたかもしれない。カイトの頬に手を伸ばす。
「ウリエルは堕とした。次の目標はラファエルだ。…わかるな?」
「……はい。癒しを奪い、天使の復活を妨げるのですね」
見返したカイトに満足したのか、魔王はその手を離した。やっと呪縛から解放され、気付かれぬよう呼吸を整える。
こんなことが繰り返されるたび、カイトは思い知るのだ。
自分はこの男の人形であると。吐き気を覚える程に。
「お前は闇人形(ダークドール)の中で、一番頭がキレる。正直、期待している」
「おや、ずいぶん贔屓なさるのですね。カオス様?」
「不満か?」
「不満に決まってるじゃん!カオス様のお気に入りは僕でしょ」
ルシファーの含みのある言い様に愉快そうに喉の奥で魔王が笑うと、堕天使の背後からひょこっと小柄な少年が顔を出した。
頬を膨らませてみせるまだ10代前半ぐらいの彼も、白い礼服を身に纏っている。
特徴的なのは色素の抜け落ちた真白の髪で、腰に届くほど長くて繊細だが、弦のように鋭利な輝きを帯びていた。
大きな青い瞳に幼子じみた潤みを湛えたNo.10のアヤは、闇人形(ダークドール)の最新作であった。
「もちろん、お前にも期待している。お前は最も美しく、完成されているのだから」
「だよね!この前だって、皆よりたくさん殺したもんね」
カオスに戯れるアヤの一点の曇りも無い無邪気に、勝手に身体が震えた。
真の悪とは、この少年のことを言うに違いない。
カオスに頭を撫でられて嬉しそうに笑うアヤから目を離せないでいると、ルシファーがウインドウを消して穏やかに微笑んだ。
「私の最高傑作だよ、アヤは。純粋な悪というものがあるとしたら、まさにそのもの。」
冷たいものが胃に流れる気がした。 ここは、闇以外のすべてが希薄だ。
「さぁ、お茶にしましょうか?」
ゆったりした堕天使の声が、電子音の狭間で虚ろに反響した。
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