第1話「風、変わるとき」






 大陸の3分の1を占める大国、ハイアン。
その西都ハクシュウは、人や物の交流が盛んな大きな街である。

市場は、いつも新鮮な野菜や果物、魚介で溢れ、屋台が軒を連ねている。
その通り沿いには、西域諸国からの輸入品を扱う店も多く、 珍品、名品、高価な物から特売品まで、ありとあらゆる物が揃っていた。
それらを求めて、今日も多くの人々で市場は賑わっていた。

 そんな人込みの中、オレンジ色がふわふわと揺れている。


「人参、白菜、ネギ、リンゴ、茶葉…よし。あとはー…」


目立つ髪色の少年・彩牙(さいが)は、メモを覗き込みまがら雑踏をすり抜けて行く。
その背後で突然、女の甲高い叫び声が響いた。


「ひったくりよ!捕まえて───っ!」
「!」


反射的に振り返ると、ハンドバックを抱えた男がこちらに猛ダッシュしてくる所だった。
その後ろで若い女性が追いかけながら、叫んでいる。


「おっちゃん!コレ、ちょっと持っててっ」
「お、おぅ!」


抱えていた荷物を近くの露天のオヤジに渡すと、男めがけて駆け出した。


「どけっ!小僧っ」


怒鳴りながら突っ込んでくる男。
その前に走り出ると、そのまますれ違い様に服を掴み、足をかける。


ダァンッ!!


「泥棒はダメだぜ、おっさん。」
「ヒィッ!」


小柄な彩牙は男を軽く投げ飛ばし、腰にしていた双剣のうち、片方を男の喉元に突きつける。
呆気に取られていた周囲だが、機転を利かせた通行人数名が男に縄をかけ、男はついに地に伏した。
見事な捕り物劇に、わぁっと歓声と拍手が上がる。


「ほら、どうぞ。アンタのだろ?」
「ありがとうございます!あの、よろしかったら、お名前を…」
「別に…」
「『名乗るほどでも無い』ってか!?ぃよっ!彩坊、男前!!」
「おっちゃん!茶化すなよっ」


バックを受け取った女性の申し出を断ろうとしていた所に、先程の露天のオヤジが囃子立てた。
照れ隠しに、預けていた荷物を乱暴に奪い取る。


「サイボウ、さん?」
「違う違う。彩坊は愛称だよ。あの子の名前は、晶 彩牙(しょう さいが)」
「何、勝手に紹介してるんだよー。おばちゃん。」
「いいじゃないの。大活躍したんだから、お礼ぐらいさせてあげたら?」
「そうだ。そうだ。」


陽気さを取り戻した商人たちに、格好がつかないとむくれる彩牙。
彩牙は市場の常連で、人懐こい笑顔と素直さのおかげか、商人たちと仲が良い。
オレンジ頭と、澄んだスカイブルーの瞳が印象的なせいもあるだろう。


「彩牙さん、何かお礼をさせてください。」
「いいって、別に。大したことしてないし。」
「でも…!」


女性は余程嬉しかったのか、気がすまないらしく、食い下がってくる。

困った。

気持ちは嬉しいが、たまたま運良く捕まえられただけだし、自分は当然のことをしたまでだ。
謝礼を受け取るほどのことじゃない。


「俺、まだ買い物の途中だからさ。」
「彩坊。今日は、まけてやるよ!」
「ケチくさいこと言いなさんな。ホラ、なんか持ってくかい?」


なんとか断ろうとしている時に、またしても周囲から邪魔が入った。


「ありがと。でも、いいよ。あとは、ばぁちゃんの薬を貰ってくるだけなんだ。」


すっかり本日のヒーローとなってしまった彩牙は、寄せられる厚意を笑顔で断った。
それを見ていた女性は、少し考えるような素振りの後、口を開いた。


「それでしたら…。」
「?」





「んで、その金握らされて来たって?ちゃっかりしてんな〜」
「な!だからっ、コレはその人が無理やり…っ」


彩牙の話を聞き終えた、薬屋の少年はけらけらと笑いながら言った。
紙幣を握り締めたまま抗議する彩牙に、「わかってるって」と、悪戯小僧のように笑う。

 彼の名は、周防 蓮飛(すおう れんひ)。
艶やかな黒髪に、ちょっとつり目がちな左右で色の違う瞳を持つ美少年だ。
この薬屋の若き主だ。市場の隅にある小さな店だが、薬の調合や質が良いため、よく効くと評判である。
蓮飛は彩牙より2個年上で、年が近いせいか、こうしていつもじゃれ合っている。


「ほらよ」
「いつも、ありがとなー」
「いーから、早く持ってけ」
「うん。じゃ、またな!」


ひらひら手を振る蓮飛を背に、店を出た。

 彩牙は街外れの小さな家に、祖父母と3人で暮らしている。両親は、…いない。
冒険者だった二人は、10年前に家を出たまま行方知れずだった。
それでも、幼い自分を置き去りにした両親を恨んではいなかった。
祖父母の愛に包まれて、穏やかに生活している。

ただ、時々無性に、一人で風に吹かれていたくなるぐらいで。


「ただいまー!何やってんの?」
「お帰り、彩牙。天気がいいから、虫干ししようと思ってなぁ」


家に帰ると、祖父母が書斎から本を引っ張り出してきて、家の前に並べていた。
彩牙は荷物を置くと、二人を手伝うために書斎へ向かう。父の書斎は、もう長いこと放ったらかしにされている。


「けほっ、すげぇ埃ー」


少しばかり眉を顰め、涙目になる。とりあえず手身近な棚から漁り始めた。
本をあらかた出し終えると、今度は棚の引き戸を開けて中を探ってみる。


「あれ?なんか変…」


不思議な違和感。微妙に、引き戸の天板の色が違う気がする。コンッと軽く、拳で叩いてみると。


ゴトッ!


「……何、これ?」


落ちてきたのは、古ぼけた石の板。
警戒しつつそろそろと手に取るが、何も起こらないし、何なのかさっぱり分からない。何か表面に彫ってあるようだけれど…。


「もしかしたら…、父さんと母さんの手がかり?」


しばらく座り込んで考えていたが、浮かぶのはハテナばかり。


「あー、分かんねぇ!…あ、そうだ!蓮飛なら分かるかも!」


明日、彼の所に持って行ってみよう。

そう結論づけて、彩牙は石版を机の上に置くと、再び作業を再開した。





風向きが変わり始めた事に、気づく者はまだいなかった。






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by穂高 2004/9/15