共鳴スターマイン



慣れない下駄をひっかけて引きずりながらも、離すものかとしっかり握る体温の高い白い手が夜の路頭に浮かび上がる。
否応無しに胸が高鳴るのを自覚して、汗ばむ手のひらが気になって仕方がない。


「栄(サカエ)、Hurry up!花火、始まっちまうだろ?」


白い手の主がくるりと振り返ると、襟足で束ねられた尻尾のような髪が舞う。
豪(ゴウ)はすこぶる上機嫌だ。
彼の目立つ白い頭は、今は紺色のバンダナに覆われている。着ている甚平と揃いの色だ。
日本の祭りにそれらしく参加したいという彼の願いを受けて、前日までに誂えたものだった。
浴衣よりも歩き易いと感激した豪は俺に抱きつき、交換条件である「顔を隠すこと」を快諾した。

いまやお茶の間を賑わす人気音楽グループの一員である豪が、変装もせずに祭りの人混みに突入するなど無謀であった。
それなのに豪はサングラスや帽子といった、いかにも芸能人っぽい格好をすることを極端に嫌がって、いつも顔を隠すものを身につけない。
さらに今回はせっかくの祭りなので風情が無いと嫌だ、とも主張する。

仕方なく、俺は彼の男にしては長すぎる髪を結び、上からバンダナを巻いて伊達眼鏡をかけさせた。
無いよりは幾分かマシだろう。
あとは「有名人がこんな所にいるわけが無い」という一般市民の感覚を信じるしかない。
派手な言動さえしなければ、祭りの騒乱が俺たちを隠してくれるはず。



そんな俺の心配を構いもしない目の前の恋人は、 繋いだ手をぐいぐい引っ張って童子のようにはしゃいでいた。
思わず溜息をつきながら、 浴衣を着ているためにすっきりと空いた己の首元を指で引っ掻く。


「そんなに急がなくても大丈夫だ。それより足元を見ろ」

「そうだよ、豪くん。慣れないもの履いてるんだから、気をつけないと転んじゃうよ?」


賛同する声が、彼を挟んで反対側からかかる。
高校生にしては低すぎる自分の声とは異なり、甘さを残した柔和な少年の声。
彼の手は、豪の空いている方の手と繋がれている。

そう、3人なのだ。

もし、この現状がデートだったなら…。
自分の溜息も、こんなに深くなることはなかっただろう。


「ジーク、耳栓しなくて平気か?酔わない?」

「大丈夫だよ。Danke.」


にっこりと天使のような顔を綻ばす彼は、ポニーテールにした金の髪を揺らして首を振る。

【ダンケ】はドイツ語で【ありがとう】だったかと頭の片隅で思い出しながら、 なんとなく彼を睨んでしまう。
視線に気付いてこちらの心境を察したのか、彼の品格漂う唇は意味深な弧を描いた。


ジークことジークフリートは、豪の親友といってもいい人物だ。
豪たちのバンドが所属するミューズレコードの御曹司であり、 弱冠16歳で飛び級して大学に通いつつ、 デザイナーとしても活躍する天才児だった。

彼は豪をとても大切にしていて、不意に時間ができると自家用ジェットですぐに来日してくる。
ドイツと日本って東京=大阪間ぐらいだったっけ?、という錯覚に陥ってしまうくらいだ。


そんな彼から豪を奪ってしまったのだから、 豪の恋人になってしまった俺に対して敵愾心とまではいかなくても、あまり良い感情は持っていないのだろう。
いつも言動の端々に、嫉妬めいた棘がちらついていた。


「そうか、耳栓か…。それだと往来で見るのは危険だし、コイツのこともあるし、 少し離れたよく見える場所に連れていってやろう。穴場だぞ」

「俺は平気だって。でも、穴場はいいな。すげー楽しみ!」

「ありがとう。悪いね、気を遣わせちゃって」

「そんな大した気は遣ってないさ」


豪を挟んで交わる視線に少し火花が走っていることに、当の元凶は気付いていない。
両手に花だと言わんばかりに嬉々として、物珍しそうに夜店をキョロキョロと覗いている。


そもそも祭りに行きたいと、駄々を捏ねたのはジークフリートだった。
「日本の花火を見たい、浴衣を着たい」そう豪に持ちかけて、 豪が俺に連れて行って欲しいと頼み込んできたのだ。
彼の願いでなければ、豪も無理に夏祭りデートしたいだなんて言い出さなかったに違いない。


いつもはデート優先、恋人第一だと公言して憚らないのに。


そこが、俺にはちょっぴり面白くない。

でもそれを素直に態度に表すほど子供でも無いため、 俺は豪の手を引くことで彼ら2人を案内することにした。





連れてきたのは喧騒から少しだけ離れた川辺だった。
カップルや年配の夫婦など、ゆっくりと花火を眺めたい人々がぱらぱらと集まっている。
この川の向こう岸で花火が上がるため、純粋に花火を愛でるなら此処が一番だった。

去年、寮の連中を連れてきた時は「渋すぎる!」と評され、 急遽買出し班を作って屋台を走り回らせることになってしまったが。


「うぉっ、やべ、落とした!」

「何やってるんだ」


来る途中で買って食べていたりんご飴を落下させてしまい、子供っぽく頬を膨らます豪に溜息をつく。
悔しそうに地面を見つめているので、財布から金を出して握らせた。


「何か買って来いよ。まだ腹減ってるんだろ?」

「えっ、いいの?」

「あんまり遠くに行くなよ。あと、目立つな」

「Thak you! 心配すんなって。あそこで買ってくるよ」


買出しを任された事が意外だったのか、目を丸くし、と同時に輝かせた豪は此処からでも確認できるたこ焼き屋の灯りを指差して笑った。


「僕の分も頼んでいい?」

「もちろん!3人分買ってくる。仲良くしてろよー?」


上目遣いで見つめるジークフリートに親指を立てると、豪はさらりと意味深長な言葉を置いてパタパタと走って行ってしまった。


「…………アイツ、分かっててやってたのか」

「豪くんって、ときどき意地悪だよね」


ぽそりと呟くと、ジークフリートも豪の後姿を見つめながら頷いた。
突っ立っていても仕方がないので、適当に座るよう促してその隣に腰を下ろす。


「なに?」

「いや、金髪に浴衣って似合わないなと思って」

「僕を馬鹿にしたいわけ?」

「まさか」


豪と似た仕草で頬を膨らます彼に、思わず笑みを漏らしてしまう。
女性と見紛うような背中まで伸びた金色の髪も西洋人特有の白い肌も非常に美しいのだけれど、 浴衣にはどこか不釣合いだった。

くすくす笑う俺に、ジークフリートは顔を近づけて睨んだ。
「すまん」と軽く謝ると、拍子抜けしたような顔をして、それから複雑そうに口を開きかけた。

その時、ドンッと腹に響く音が鳴り急に空が明るくなる。


「あー、始まってしまったか」


豪が慌てているだろうと考えを巡らせて言えば、ジークフリートは急いで空を見上げた。
次々に上がる花火が白い肌に彩りを与える。
深い碧色をした瞳には、くっきりと光の軌跡が映っているのに気付いた。
あっという間に花火に魅了されてしまったようだ。

ふと先刻の彼と豪の会話を思い出して心配になり、浴衣の袖を軽く引いた。


「ジーク、耳栓しなくて平気か?」


問われて我に返ったのか、碧色が俺を捉えて慌てて小さく頷く。

彼の耳と目は、ちょっと特殊だった。

音が色として見える、と聞いたときは、正直よく分からなかった。
色聴というらしい。
彼の脳は音を拾うと、それに色をつけて眼前の光景に表す。
日常に溢れかえる音に色があるなんて、それが見えるのが普通だなんて、俺にはうまく想像できない。

おそらく同じ共感覚保持者にしか理解し得ないことなのだろう。


「確かに大きい音だし、動きが早いし、いろいろ混ざってるし、洪水みたいだけど、大丈夫」


気持ち悪いものではないと、ジークフリートは首を振る。

以前、「共感覚は病気ではなく個性だ」と豪が言っていたのを思い出す。
あまり心配しすぎも失礼だろうと思い、口を噤んで自分も空を見上げる。


ずんっと響く音とともに、赤、緑、青…色とりどりの花火が夜空を染めていく。
ジークフリートの瞳には、どんな風に見えているのだろう。

そんなことを何となく考えていたら、彼が珍しく俺の名を呼んだ。


「栄くんは、ズルイよ」

「なぜ?」

「だって、そんなに優しかったらさ。僕、2人を邪魔できなくなっちゃうじゃない」


優しい?

疑問が通じたのか、彼は柔らかく苦笑する。


「栄くんは優しいし、賢いよ。寛容って言った方がいいのかな。国籍とか、年齢とか、社会的地位とか、家柄とか、 …外見とか、僕や豪くんみたいな特殊体質とか、気遣ってはくれるけど、特別扱いしないじゃない」

「………単純に、世間様と感覚がズレてるだけらしいぞ?」


いつだったか部活で相棒に言われたことを反芻して首を傾げると、 彼はくすくすと大人びた笑みを零す。


「そういうことに、しといてあげる。 …あーぁ。豪くんが惚れるのも、分かっちゃうから嫌なんだよね〜」


唐突な認可に僅かに目を見開くと、彼は再び花火を眺めながら口を開いた。


「豪くんとは全然立場が違うけど、僕なんかは彼より余程幸せな環境にいるけれど、 それでもね、1人ぼっちだったから」


共感覚、世界規模のセレブ階級、ずば抜けたIQに恵まれた容姿、 そしてデザイナーとして開花した才能。
誰もが憧れ羨むような生活を送ってきた彼だが、 その裏には自分たちには理解できない苦悩があるはずだ。

まだ未成年なのに大人社会で生きていること。
同年代の友人を作る機会が少ないこと。
色聴は、ときに創作活動の妨げになること。

残酷だが、今、彼が見ている世界を真に理解できる者はどこにも存在しない。


「だから、豪くんと出会えたことは僕にとって、とても幸運な事なんだ」


色素欠乏症を持って生まれ、幼い頃から悪魔の子として周囲から迫害されてきた豪。
側にはいつだって彼を守る兄がいたが、それでも豪は孤独を感じていたはずだ。
中性的な美貌と音楽の才を世間に認められた今でも、ときどき泣きながら眠っている姿をよく見かける。


一度抱えた孤独は、なかなか彼らを自由にしない。
そういう2人だったから、おそらく繋がっているのだろう。

強い、強い、それは絆だ。


「知っている。…だから、俺は妬くんだ」


静かに落とした本音に、ジークフリートは息を飲んだ。

傷の舐め合いなんか、しないで欲しい。
自分は理解できなくとも、受け入れるから、拒絶しないから。
豪の最も側にいて、一番に支えるのは自分でありたい。

2人の絆は理解できるし、引き裂くつもりも無いが、それでも。


きょとんとして、俺の顔をまじまじと見つめていた彼は小さく噴き出すと、肩を震わせて笑い始めた。


「ジーク」

「あはは…っごめん、急に栄くんからオレンジが溢れたから…」


眉を寄せて咎めて、彼の笑いが収まるのを待つ。
彼は不機嫌になった俺に謝ると、目に溜まった涙を拭って続ける。


「栄くんの声はね、普段はすっきりした緑色や青色に見えるんだ。それなのに、急に子供みたいな可愛い色になったから面白くて…」


つまり俺のヤキモチ発言は、声のトーンが変わるほど色々と溢れ返っていた、と。

恥ずかしくなって手で顔を覆うと、指の隙間から花火の光を感じた。


「馬鹿にした訳じゃないよ。嬉しかったんだ」

「?」


手を下ろすと花火を背景に、ジークフリートのどこか大人びた微笑に出会ってドキリとする。


「豪くんを、本気で想ってるんだなぁって分かるもの」


彼は夜空に視線を戻して、諦観に似た響きでしみじみと言葉を繋ぐ。
彼の視線を追って上空を見上げれば、第二陣のスターマインが再び夜空を色づけ始めた。


「栄くん、豪くんの手を少しでも離したら、僕が彼を攫うよ。閉じ込めて、守る。二度とキミには会わせない」


まるで命令を下すように厳然と言い放つ少年は、言葉とは裏腹に暖かく溶けた碧眼を向けた。
それを見てふっと自然に微笑みがこぼれ、俺はゆっくり息をする。


「構わない。離すつもりはないから。何があっても、絶対に」


泣いても、泣かしてしまっても。
傷ついても、傷つけてしまっても。

彼が自分を求めるかぎりは。


花火の音に紛れずに無事に届いた応えに、ジークフリートは満足げに目を細めた。


「Shit!たこ焼き屋、人気ありすぎだろ。2人ともお待たせー」


聞きなれた声に振り向けば、手に持った袋を鳴らしながら駆けてきたらしい豪の姿があった。


「遅いよ豪くん、早く座って」

「おう!」


ジークフリートが俺と彼の間、真ん中の地面を軽く叩くのを見て、彼は嬉しそうに飛び込んでくる。


「仲良くしてたみたいだな?」

「もともと仲が悪い訳じゃないからな」

「知ってるよ」


上目遣いで笑う彼は小悪魔を連想させて、俺とジークフリートは顔を合わせる。
豪には俺たちの気持ちも、すべてお見通しだったわけだ。

まったくもって、敵わない。


「Wao!すっげー!綺麗だなーっ」

「うん」

「そうだな」


いくつもいくつも。
光を繋げるように打ち上がるスターマイン。

俺はそっと豪の手をとり、豪は当然のように握り返す。
それに気付いた金色の少年が少しだけ寂しげにしているのが伝わり、俺は豪に視線を送る。
意を汲んだ豪が花火に負けないくらい大輪の笑顔を咲かして、彼を振り返り手を取った。


「ジーク、日本の祭りは楽しい?」


驚いていた彼は突然の問いに目を瞬かせていたが、俺と目が合うとすべてを察して頬を緩ませる。


「とっても!」


16歳の少年らしい、幼さの残るまさに天使のような笑顔だった。





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共感覚の1つ色聴を取り上げましたが、あくまでフィクションの中での記述にすぎません。
ドイツ語や英語も感覚で書いています。あまり信用されませんようご了承ください。
2010.8.28 穂高