桜色の恋人



「花見がしたい!」


我らがアイドルの一言で(これは比喩ではなく彼の職業そのままなのだが)、このお祭り騒ぎは引き起こされた。
俺は、影でこっそりと溜息を吐く。 萌黄寮の連中+αで花見など行えば、こうなることは目に見えていたのだ。

寮舎の脇にある桜の下に広げられたブルーシートの上には、菓子やジュース、誰かが持ち込んだ酒が転がっている。
ここまでならまだ許容範囲なのだが、誰かが持ち込んだ提灯に照らされた歌う親友や、囃し立てる双子、眉間に皺を寄せる寮長、それを宥める後輩に、面白がって写真を撮りまくる外国人などまで転がっているのだ。
溜息の1つぐらい仕方ないだろう。


「さーかえっ、Do you enjoy !?」

「頭を抱えたくて、楽しめてないよ」


上機嫌なアイドルが人目も憚らず、背後から抱きついて寄り掛かってきた。
誰にやられたのか、彼の長い髪はふざけた三つ編みに化けている。


「もっと楽しもうぜ!桜を見ながら騒ぐ Happy な日本の風習なんだろ?」

「いや、騒がなくても良いんだが」

「とにかく!せっかくなんだし、楽しんだモン勝ちだよ、栄(サカエ)」

「わかったから。重いぞ」


渋々頷いてやると、彼は金色の光を帯びた真っ青な瞳を緩ませて微笑んだ。
凪いだ水面に花弁が落ちるような、柔らかなその表情の流れには、いつも目を奪われる。


「俺は栄と一緒に初めての花見ができて、すっげー Happy だよ」


更に追加された1mmも疑いの余地の無い明言に、ついに頬が熱を帯びてしまう。

いつもこうだ。


「豪(ゴウ)ー!お前も歌うかー?」

「おぉ歌うー!」

「でました、本業!」


喜色満面の笑みだけを残して、彼はさっさと歓声の中に入っていった。


「ねぇ、滝川(タキガワ)先輩」


後姿を見送って思考を放棄していると、いつの間にか隣にやってきていた藤沢(フジサワ)に声をかけられ少々驚いた。


「どうした?」


常なら騒ぎの中心に必ず居る後輩の神妙な様子を訝しむと、彼は笑って紙コップに入った茶を差し出してきた。
素直に受け取ると、彼は質問があるのだと口火を切った。


「滝川センパイって、結局、いつ豪に惚れたんスか?」

「!」


ちょうど口に含んでいた茶を吹くかと思った。


「……………酔ってるのか?」

「俺は飲んでません!下戸なんで」


意外だ。


「今、素面でこのテンションかよって俺の事バカにしたでしょー?」

「してない」

「まぁ、いいや。で、いつなんスか?」


黒目がはっきりした瞳を無邪気に輝かせて、ずずいと迫ってくる彼はまるで犬だ。

豪と自分の“あれこれ”は、寮内では筒抜けだった。
というか、豪がああいう性格なため、元より隠そうとしていないのだ。
さすがにテレビで公言するような馬鹿な真似はしていないが、それは男が相手だからというより、単純に恋人との生活を邪魔されたくないという配慮からだと思われる。

そのためチームメイトや豪の仕事仲間などの身内には、自分たちの出会いやら、告白やら、豪の元恋人とのいざこざやら、すべて知られてしまっている。

今更、何を知りたいというのか。
疑問が伝わったのか、藤沢は首を振る。


「だって、豪が先輩に猛アタックしてたのは皆知ってるけど、いつ先輩が折れたのかは、はっきりしないんスもん」

「…別にそんなこと、公開しなくても良いじゃないか」

「そりゃそうですけど。っていうか、夕食時の食堂でいきなり告白まがいな事した豪の方がフツーじゃないんですけど、でも気になるもんは、気になるんッス!」


拳を握って更に身を乗り出す後輩に、思わず後ずさる。
そこへふわりと桜の花弁が落ちてきた。
ひらひらと、暢気に舞う美しい白い花。春の夜の甘い香りが鼻を掠める。

周囲を見渡せば、豪が兄のギター伴奏で持ち歌を披露していて皆の視線を集めている。
身振りを交えながら気持ち良さそうに歌う彼の姿に、自然と口元が緩んだ。


「…最初から」

「はい?」

「初めてアイツを見た時…、かもな」


思い起こせば。
自分は
そう

最初から





あの時。
淡い花が覆った白い世界で、彼が笑ったから。





「滝川、俺、コーヒーブラックな。あとは任す」

「はいはい」


新学期が始まる直前のある日、寮監に呼び出された。
新入生の受け入れ態勢を整えるだとかで、どうしても部屋の移動が必要だという。それに協力して欲しいとのことだった。
全国一を狙っている我がバスケ部の練習は厳しく、辞める部員も多いため萌黄寮は毎年この時期にバタバタする。 話し合った結果、七海(ナナミ)が部屋を移動することになり、俺はその小さな引越し作業を手伝っていた。

今度、俺と同室になるのはどんなヤツだろう?

七海のお使いを終えて帰る道がてら、不意にそんなことを考えた。 寮監が言うには、帰国子女の新入生らしい。(男に“帰国子女”って言い方は変か?)

顔を上げると、薄く桃色がかった白い花が揺れていた。
校門に続くこの道には、桜がさくさん植えられている。この立派な桜並木を見るために、わざわざ足を運ぶ人もいるのだと聞いたことがある。
だから前方で立ち止まっている人影が見えた時も、初めはそういった類の一般人かと思った。

校門の所でじっと桜を見上げている人影は、どうやら自分とそう年齢の変わらない少年のようだった。

赤いパーカーに洗いざらしのジーンズ、スニーカーに黒い野球帽。
よく目にする服装なのに何故か目が離せない。

何も手にしておらず、ただ突っ立っているだけだというのに、妙に鮮やかな色でそこだけが浮き上がっていた。


「あの、」


部外者は立ち入り禁止だと声をかけようとしたその時、風が吹き抜けて悪戯に桜を揺らし、彼の帽子を奪った。

桜が、まるで雪のように世界を覆って、白く染まる。
思わず言葉を失って歩みを止めると、彼が振り返った。


「!」


その瞬間。
言葉どころか、呼吸が止まった。

白く淡く、芳しい世界で、白い肌をした少年の雪のように真っ白な長い髪が緩やかに舞ったのだ。
そしてその真っ青な瞳は、不思議な金の光を帯びて煌き、白を映していた。

俺の耳は機能を忘れ、ただ眼前の景色に釘付けになった。
視覚以外の感覚を失い、鮮烈な白に全てを奪われてしまったかのように。

例えるなら、これは、そう、絵画だ。
少年と桜が一体になった芸術。

そっと白幕が散って自分の姿が青い瞳に映ると、それに呼応して形の良い唇が小さな微笑みを浮かべた。

固まっていたのは、実際にはきっとほんの刹那の事だったのだろう。
帽子を拾って自分を見上げる彼に声をかけられて、我に返る。


「アンタ、ここの人?」

「っ、あ、あぁ、そうだが…」


声は空気が振動して伝わってくるのだと実感することが出来るような、よく通る声だった。
校舎を指差す彼に動揺を抑えきれないまま頷くと、彼は安堵したように顔を輝かせた。


「よかったー。兄貴たちとはぐれちまって困ってたんだ」


屈託なく笑いながら帽子をパタパタと振る彼は、先程の神秘的ともいえる美しさとはかけ離れた人懐こい雰囲気を纏う。
どうやら新入生で学校を見に来たのは良いものの、連れとはぐれて迷子になっていたようだ。

己の不自然なままの心音に戸惑いながらも職員室まで案内すると申し出ると、彼は無邪気に礼を言った。
帽子を被り直して、彼はふと手を止めてはっとしたように勢いよくこちらを見上げる。


「アンタ、驚かねぇの!?」


言葉の意味が分からず首を傾げると、彼は目を瞬かせて怪訝そうに眉を寄せる。


「もしかして…、俺を知らない、とか?」

「え?」


やはり彼の言葉を飲み込めず、どこかで会った事が会っただろうかと焦っていると、彼はぷっと吹き出した。
愉快そうに笑い出す彼にますます困惑するのだが、彼はそんなこちらの心情など気にせず、「あーぁ、俺もまだまだだなー。がんばらなきゃなー」などと呟いている。

ひとしきり笑い終え、落ち着いた彼は握手を求めて手を差し出してきた。

再び、その不思議な瞳に自分の姿が映る。
今度ははっきりと。


「アンタのこと、気に入った」


自分の鼓動をこんなに強く感じたのは、初めてだった。
とんでもなく跳ね上がった鼓動に訳が分からなくなりそうになりながら、咄嗟に手を握り返していた。


「これから世話になるかもしれねぇし。よろしくな」


再び吹いた風に花弁が舞う。
淡い花が覆った白い世界で、彼はまた笑った。





彼が星野 豪(ホシノ ゴウ)という世界で活躍するJAZZバンドのボーカルであり、自分の同室者となる人物だったというのは、その日の夜に分かったのだった。


それが、豪との第一次接触(ファースト・コンタクト)。





「えぇ〜?それじゃあ…、一目惚れって事じゃないスか」
「今思えば、な」


納得できないと頬を膨らませる藤沢に苦笑を零す。

一目惚れだったと気付いたのは、本当にごく最近のこと。
そうでなければ、彼の気持ちにもっと早く応えてやっていたはずだ。
彼をいたずらに傷つけるようなことも無かった。

そう思うと、ほんの少しだけ罪悪感が胸を焦がす。


「なんで滝川センパイは頭良いのに、そーゆーのには鈍いかなぁ?性別とか国籍とか年齢とか気にしてたら、恋なんて出来ないっスよ!」

「仰るとおりで」


膝を抱えながらこちらを覗き込んで来る後輩は、いつも子供っぽいがときどき敏い。
少し豪に似ている。


「豪が諦めないでいてくれたおかげだな。今、こうして側に居られるのも」


ふわりと夜風がそよいで桜の白が落ちてくる。
仲間たちの拍手の中、歌い終えた豪が高らかに拳を天に掲げて無邪気に笑っていた。
少し眩しくて目を細めて眺めた。


「センパイ…」


藤沢の呆けたような声に振り返ると、彼はぐっと拳を握ってこちらを見上げていた。
その瞳は希望の炎で燃えているかのように、きらきらと輝いている。


「な、なんだ?」

「いや、滝川センパイにそんな顔させるようにしたなんて、豪はやっぱスゲーなぁって」

「はぁ…」

「諦めないって大事っスよね!俺、勇気を貰いました。ありがとうございます!」

「あ、あぁ、そうか…?」


うんうんと頷いて一方的に何か解決したらしい藤沢は、頭を下げると騒ぎの中に戻っていった。
置いてけぼりでポカンとしていると、喧騒の中から「メイファ先輩〜っ」と藤沢のハートマークが語尾にたくさん付いていそうな声が耳に届いた。


「…………そういうことか」


後輩が豪のバンドの紅一点を口説き倒している事を思い出した。


「藤沢となに話してたんだ?」

「ん?」


歌って満足したのか、上機嫌で豪が戻ってきた。
立っている彼を見上げると、夜空に浮かび上がる頭上の桜色と彼の髪の色が溶け合って見える。


「秘密だ」

「あ」


三つ編みを作っているリボンを引っ張ると、無防備なそれははらりと落ちて雪の髪が風に攫われた。

色素欠乏症だからといって、男で長髪が似合うのも貴重だよな。
などと関係ないことを考えながら、その色を網膜に焼き付ける。


「栄?」

「桜、綺麗だな」

「えっ、あ、あぁ、うん…?」


言動の脈絡の無さに首を傾げながら照れたように眉尻を下げる彼に、俺は笑った。




----Back----
一目惚れを自覚するのは回顧。コンプレックスを溶かすのは最愛の人からの賞賛。

2010.5.4 穂高