微かに冬の足音がする昼下がりを、かさかさと音を立てて乾いた落ち葉が転がっていく。
この体育館裏には観賞するような紅葉など無いが、
秋の風を愛でるにはなかなか良い場所だった。
あの夏以来、暇を持て余すと体育館裏に行って呆と過ごすというのが、
すっかり習慣になってしまっている。
今日は土曜日で、学校は休みだ。
寄り掛かっている体育館の中から部活に励む声が時折漏れてきて、
遠いグランドの方でも野球部やサッカー部が練習に励んでいるらしかった。
今、この敷地内で暇を持て余しているのは、部活に入っていない自分くらいのものだろう。
しかし家に自分の居場所なんてなかったし、かといって特にやる事もないし。
座っていた石段に、ごろんと横になる。伸びた前髪がさらさらと風に流れた。
見上げると高く薄い蒼い空と、暢気に流れていく雲。
平和なこの景色は、嫌いじゃない。
そのまま目を閉じて身を任せた。
そしてふと、それまで聞こえていた吹奏楽部の賑やかな音が止んでいることに気付く。
休憩なのかもしれない。そう考えて、ふっと想い人の姿が浮かぶ。
楽器なんて出来なさそうな不器用な印象を受けるのに、彼のホルンの腕はなかなかだった。
『今度、じっくり聞かせてよ』
『え…そんな、たいしたものじゃないから…』
そう言って照れ臭そうにはにかんだ彼は、なんだか可愛かった。
(…って、『可愛い』って男に使う形容詞じゃないよな)
自分の思考に苦笑しつつも、その心の動きが楽しくて仕方がない。
女の子に囲まれていたって、こんなに昂揚したことはない。それを自覚したのはいつだったか。
(…もうとっくに腹括ってるけど)
彼に対する自分の想いを自覚した途端、意外にもすっぱりと常識と縁を切った。
抵抗なんてなかった。 逆に自分の行動に裏づけができて、すっきりしてしまったくらいだ。
まだ、彼に想いは告げていない。 物事には順序ってものがある。
(まずは親友の座、かな…?)
そんな風に今後を企んでいる時、校舎に続くドアが開いた。
「あ。」
「よっ、モリヤ。」
「アズマ君…。今日も来てたんだ」
そう言いながらやってきたのは、まさに今まで夢想していた人。
身体を起こしてにっこり微笑むと、彼は遠慮がちな笑みを浮かべた。
隣に座るように促すが、遠慮しているのか所在無げに立ったままである。
警戒心の強い小動物のようだ。 自然と緩い笑みが零れる。
「まぁ、暇人だからね。モリヤは、休憩?」
「うん。まぁ、そんなところ」
「じゃ、とりあえずコッチ来いって。ほら。」
「う、うん…。」
彼の腕を掴んで引き寄せ、そのまま自分の隣に座らせた。
自分は長身の部類なので彼を見下ろすことになり、隣に並ぶと色々なことが分かる。
髪は癖が無くて真っ直ぐだとか。 肌が結構白いとか。 睫毛が意外と長いとか。
「あの…アズマ君。そんなにじっと見られると気になるんだけど…」
思わず魅入っていたらしい。
「悪い悪い」と誤魔化しながら、ひらひらと手を振る。
それを見て少し拗ねたような態度を見せる彼に、ふと悪戯心が湧いた。
「ちょっといいかな?」
「え?…って、ちょっとアズマ君!なに…っ?」
「お、ちょうどいい高さだ。膝、しばらく借りるぜ?昨日あんまり寝てないんだ」
慌てる彼を見上げて笑うと、彼は困ったように頬を赤らめる。
俗に言う“膝枕”というのを彼の膝で実践してみたのだ。意外となかなか良い感じだった。
きょろきょろと周囲を見回して人影が無いのを確認すると、彼は渋々抵抗を止めた。
単なる友人に対して、ここまでの無防備さ。
少し心配になりつつも、今は伝わってくる温もりに満足する。
「少しだけだからね。こんなの誰かに見られたら、何言われるか…」
「アカギあたりに見られると、厄介だな」
「こ、怖いこと言わないでよ!アカギに見られたら、月曜日、学校に来れないよ!」
「あはは」
『東 和幸と守屋 直、ホモ発覚!!』などと黒板に書かれるのを想像して吹き出してしまうと、彼も同じ事を考えたのか、赤くなったり青くなったりしている。
それを指摘すると、ぷいと横を向いてしまった。
「モリヤ、そんなに怒るなって」
「…………。」
「…こっち向けよ、ナオ」
「…………。」
「ナーオー?」
「………アズマ君ってさ。時々そうやってボクのこと、ナオって呼ぶよね。」
どこか在らぬ方向を見ながら、ぼそぼそと彼は言った。
思いがけない言葉にきょとんとしていると、怪訝そうな顔をして振り返る。
「普段は『モリヤ』なのにさ。」
「なに、嫌なの?」
「別に嫌じゃないけど…なんか…」
微妙に居心地が悪いのか、彼は身体を揺らして体勢を変える。
「そういうナオは、俺のこと相変わらず『アズマ君』だよな」
「え?ぁ、うん、そうだね」
「『カズユキ』でいいって、前に言わなかったっけ?」
ぎくりと肩を跳ねさせた彼は、しどろもどろに言い訳を始めた。
けれど黙って聞いていると、それは単に「恥ずかしい」と言ってるように聞こえるのは、この腐った耳のせいだろうか?
そういう素振りがどれだけ俺を喜ばせているかなんて、この少年は分かっているのだろうか。
(…分かってないんだろうな。)
「なんとなく、違和感なんだよ…アズマ君はアズマ君だし…突然、呼び方を変えるのもなんか…」
「よし、じゃあこうしよう。たった今から、俺はお前のことをいつでも『ナオ』って呼ぶことにするから」
「えっ」
「お前も俺のこと『カズユキ』って呼べよ」
「えぇっ!?」
本気で驚いているのか、あたふたする彼に先手を打って呼びかける。
「ほら、ナオ。言ってみ?」
「そ、そんな…ボクなんかが呼べるわけ…」
「ナオ、お前に呼んで欲しいんだよ」
名前を呼ぶなんて簡単なことに右往左往する彼が面白く、つい調子に乗ってとびっきりの低くて甘い声で囁いた。
その途端。
「か、からからないでよ!」
「ぅわっ!?」
急に立ち上がった彼の膝から転げ落ちる。
「あ、ごめ…っ。でもアズマ君が悪いんだからね!そういうのは女子にやりなよ。ボク、もう部活に戻るから」
「ちょ、おい、ナオ…!」
「じゃあ、またっ」
そう言い捨てて、彼はバタバタと走り去って行った。
ぽつんと残された俺は、とりあえず服についた土を払って石段に腰掛ける。
(…勝算あり、かな。)
真っ赤に染まっていた耳を思い出し、最後の“また”という言葉を反芻して、彼が消えていった扉を見つめる。
口元が緩むのを止められない。
「いつか、絶対、名前を呼ぶことになるぜ?ナオ…」
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