「なぁ、ハル兄」
「んー?」
兄の細長い白い指が、神経質そうにギターの弦を押さえては離れる様を意味も無く眺めながら呼びかけると、気の無い声が返ってきた。
無造作に楽器が置かれている2人きりのスタジオには、外の小春日和を伝える窓は無いのにどこか弛緩していた。
日本の冬は、暖かい。
寒いことは寒いのだが、あの、母国の街先で感じる指先が千切れそうな痛さを味わったことはまだ無い。
「日本のChristmasってさ。家族より、恋人と過ごす方が普通なんだって」
学校近くの商店街は、赤と緑に覆われて夜も照明で飾られすっかり色めき立っていて、少しばかり故郷を思い出した。
「へぇ、日本の独り身は辛いな」
「ハル兄はどうすんの?」
感心したのか関心がないのか分からない様子に放るように尋ねると、
彼はきょとんとしてやっと作業の手を止めてこちらを見つめた。
「どうするって…。忘れたのか?俺たち仕事が入ってるだろ?」
「Non!その後だよ。やっぱ、エアのとこだよな」
柔らかい赤毛の髪をかき上げつつ呆れた目で睨まれるのは心外だったので、拍子をつけて指を振ってみせる。
彼は急に飛び出した恋人の名に目を丸くした。
ほんの少し頬の血色が良くなったのには、目を瞑ってやる。
それを揶揄うと、話が先に進まないのは経験から学んだ。
「えっ?お前はどうするんだよ?」
来日するまでは、もちろん毎年家族で過ごしていた。
母親が病院で眠り続けている我が家では、父親も仕事と看病で忙しい身だったため、
たいていは春樹(ハルキ)と二人、兄弟水入らずだった。
「いいじゃん、今年はJapanese Christmasでいこうぜ♪
俺は栄(サカエ)に構ってもらう。寮の奴らほとんど、まだ実家に帰らないんだって」
「Ha…、そうだな。『日本にもHoliday Seasonを導入すべきだ!』って喚いていた彼を慰めに行くとするよ」
「それがいいよ。アイツびっくりするぞ」
想像して楽しくなってきたのか、くすくすと笑みを零す兄はいつもより幼く見えた。
エアハルトは俺たちを日本に連れて来た張本人だ。
『お前たちを世界一のArtistにしてやる』と豪語する若手の敏腕マネージャー。
弟の身としては、兄には幸せな家庭を築いて欲しいなどと自分勝手に思っていたが、
彼が兄を見る眼鏡の奥の瞳はいつだって愛しげに細められていたので、文句を付けられなかったのだ。
それに、今まで必死に弟を先導してきた春樹をエアハルトがビジネスパートナー以上の想いで包んでくれるのなら、
それは願ったり叶ったりだった。
やっと兄を、自分から解放させてやる事ができた。
そんな思いだった。
「メイファとルートはどうするんだろう?」
兄の暢気な声が、つい感傷に浸っていた頭を呼び戻した。
ここにいない仲間を気遣うのは、リーダーだからだろうか。いや、性格だな。
「ルートは国に帰るって。仕事終わりにジークがJetで迎えに来るらしいぜ」
「………。よくもまぁ、ドイツからほいほい来るよな」
「………。アイツは規格外だから」
にっこりと微笑み絶やさない友人の顔を思い出し、思わず吐いた息が重なる。
そういえばと思い出したように呟いた兄は、そっと愛器を置いた。
「メイファは藤沢くんにDinnerの約束をさせられていたよ」
「うっわ、アイツやるなぁ。その積極さを栄にわけてやって欲しい」
「豪(ゴー)」
「なに?」
不意に柔らかな響きを帯びた声に耳がくすぐったくなる。
「その滝川(タキガワ)くんも、New year's eveには実家に帰るんだろう?」
「たぶん」
日本で家族一緒に過ごすのは正月らしい。
萌黄寮は帰省準備をする者たちで最近忙しない。
「じゃ、俺たちも帰るのはそれぐらいにしとこう」
「え?」
「 Dad が顔見せに来いって」
席を立って微笑む春樹は家族思いの兄の顔をしていて、無性にそれが嬉しくて勢いよく頷いたら、
「いつまで経っても子供だな」と笑われた。
「ただいま〜。あれ、栄??」
ライブ形式のテレビ撮影だったため、興奮冷めやらないまま寮の自室に戻ってみれば、
同室者の姿はなく灯りも消えていた。
夜間外出は寮の規則で禁止になっていたので、首を傾げる。
ふと彼の整頓された机の上に、無造作に置かれた紙が目に入り手に取る。
メモだったそれに視線を走らせ、慌てて部屋を飛び出した。
「「「「「メリークリスマース!!」」」」」
「 Ah!?」
食堂の扉を乱暴に押し開けて飛び込むと、クラッカーの音と歓声。
目を白黒させながら周囲を確認すると、
電飾がついたツリーに、不細工な輪飾りに、テーブルの上の食べかけのお菓子に、転がるジュースやお茶のボトル、
降りかかってくるクラッカーテープの向こうの、にんまりした見知った顔たち。
「豪、おかえり。お疲れさま」
「あ、あぁ、ただいま。………じゃなくって、What's!?」
苦笑しながら手を差し伸べてくれる恋人に、握っていたメモ用紙を見せ付ける。
“急ぎ、食堂に来い”。
そう書かれた短い走り書き。
達筆な彼にしては乱暴な文字で、不安を覚えて急いでやってきたというのに。
「すまん、そう書けとあいつらが…」
本当に申し訳無さそうに見下ろす彼が、すでに盛り上がっている寮の住人たちを示す。
「だって、滝川の文字なら無視しないでくるだろ」
「七海(ナナミ)先輩の読み通りでしたね〜」
「豪クン、生中継ライブ最高だったぜーっ」
「みんなで見てたんだよ!よかったな、早く帰れて」
次々に投げかけられる楽しげな声に、彼らの罠にずっぽりと嵌ったのだと知る。
隣に立つ長身を見上げると、困ったような、けれどどこか楽しそうな笑顔で。
「待ちきれなくて先に始めてしまったけれど、お前が帰ってくるのを皆待ってたんだよ」
「Partyやるなんて知ってたら、仕事入れさせなかったのに…」
「こらこら」
呆然としたまま思わず呟けば、どっと笑いが起こった。
ぽんと肩に手を置かれ、温もりが移る。
「よーし、全員揃ったしケーキ食うぞ!」
「「「「おぉー!」」」
寮長の七海が号令をかけ、取り囲まれていた状況から解放された。
混乱していた頭が落ち着き気が抜けると、くすりと笑いを堪える声が降って来た。
少しむっとして見上げると、彼はすまんすまんと肩をぽんぽん叩く。
「アメリカでは、クリスマスは家族と過ごすと聞いたんだ」
「え」
「そうしたら皆でお前を喜ばそうという話になって」
「…それがいつのまにかドッキリに?」
拗ねた口調で言えば、彼はまた苦笑した。
この柔らかい苦笑は嫌いじゃない。
むしろ好き。
「寮の皆は、もう家族みたいなものだろう」
惚れた方が負けって、こういう時に使うんだな。
せっかく気を利かせて日本風に過ごしてみようと、兄の傍から離れてみたというのに。
七海が手を振って呼んでいる。
それに応えた彼がそっと背中を押してくれた。
「豪、メリークリスマス」
「…………Merry Merry Christmas 栄っ!!」
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