22.捕まえて




 このまま、紅く焼け付く空に、消えてしまいたかった。











雹が降るように鳴り止まない銃声。

男とも女とも、もはや区別のつかない悲鳴。

渇いた赤土は赤黒く染まり、爆発で舞い上がった塵が視界を覆う。

走る足に時折当たるのは瓦礫か、それとも。












見上げた空は、無情にも冷酷なプラスチック・ブルーだった。
しかし、その片隅は太陽の烙印のごとく、紅く、焼かれていた。

夕焼けよりも強烈な紅の下、彼は、いた。

木を、花を、街を、人を。
…空さえも焼き尽くす焔の中、彼は不思議と微動だにせずにそこに佇んでいる。

周りの熱を忘れたかのように、ただ静かに。

いっそ穏やかなくらいの黒曜の瞳は、しかし何も映してはいなかった。
青かったはずの軍服は、挨と血にまみれ赤とも黒ともわからない。
取り巻く業火に守られて、彼は真紅に染まっていた。

焔が、生き物のように全てを喰らい尽くす。
残るのは、やけ焦げの廃墟と炭だけだ。


「…ロイ」


妙な早さを刻む鼓動を押さえ付けながら、ヒューズは前方の紅い焔を睨むしかなかった。


















 イシュバールの悲劇は深い爪痕を残した。
後方支援で、直接戦闘には参加しなかったヒューズの中にさえ、それはある。
それほどまでに悲惨、いやそんな陳腐な言葉じゃ表せない物だった。
そんな事を思いながら、ヒューズはロイの家に向かっていた。

終息宣言から2週間。
雑務に追われていた彼にも、ようやく休息がもたらされた。
その貴重な休みにくたびれた体をこうして進めているのは、一重に親友のためだ。




先日、ロイの具合が気になったヒューズが電話をしたところ、彼は出ず、代わりに彼の有能な部下が応答してくれた。 疲労が残る声は、彼女らしくない不安げな響きを含んで、こんな事を漏らした。

「中佐は部屋に篭りっきりで…ロクに食事もなさってらっしゃらないようで…」

あぁ、やはり。
眉間に皺を刻む。
親友、ロイ・マスタングは国家錬金術師だ。

焔の、錬金術師。
戦場で多くのモノを焼き払った、焔の中心。


地獄のようなその場所で、彼は何を見た?


そう思ったら、ヒューズは居ても立ってもいられなくなったのだ。






彼の家のドアベルを鳴らす。 しかし、いくら待っても返事が無い。 静まり返っている家からは気配が感じられない。

「おーい、ロイー?いるんだろ。」

無音。
仕方が無いので、勝手に上がり込む事にする。 鍵がかかっていない、という事は留守ではない。

「ロイ、どこだー?」

ふっと不安に襲われ、ヒューズは静寂を掻き消すように明るめの声を出す。 もともと殺風景な部屋だったが、これは…、いつにも増して。 昼間なのに薄暗く、主の気分を表しているようで胸が騒いだ。 リビングにもダイニングにも、生活感が無くなっている。

「研究部屋か?」

奥の扉をノックした。

「おーい、ロイ!見舞いにきたぞー。」

カタンッ

小さな物音。どうやらこの中だ。 ヒューズは少し安心する。
数秒後、弱々しくロイが扉を開けるまでは。








まるで病人のようだった。
頬がこけ、指通りの良かった髪は見る影もなくボサボサ。 あまり生えない髭が不精になり、元々白かった肌は白を通り越して青い。
そして何より、その瞳。 濁った硝子玉のように奥が見えない。 実際に目の当たりにするのは、やはり痛々しくて、ヒューズはロイにわからぬよう一瞬だけ眉を顰めた。

「よ!」

普段通りを装う。ロイは何も言わず彼を通した。

一歩。
たったそれだけで、空気が変わってしまったかのようだった。
ヒューズは思わず息を飲む。 散らかされた書物、破かれたカーテン、割れたグラス…、そして、床、壁、果ては天井まで、平面という平面にびっしりと書き込まれた、訳のわからない数式や錬成陣。 所々に焦げ跡もある。

一体、ここで何をしていた?

「ほらよ、差し入れだ。飯もロクに食ってないんだろ?お前の有能な部下を心配させんなよー。」

散乱する物を掻き分け、なんとか無事なベッドに腰掛ける。 からからと笑うヒューズを見もせずに、立ち尽くしていたロイが、そっと開けた唇の隙間。



「錬金術師とは嫌な生き物だな。」

漏れた、聞き逃しそうな小さな声。

「国家錬金術師は…だろ?」
「…。」


嫌な物を見た。


「覚悟の上だったはずだ。」
「あぁ。」


悪夢であって欲しいと、何度願った事か。


「お前がそんなんでどうする。」
「…わかっては、いる。」


簡単な事だった。この指を少し擦るだけで。


「人を、殺した。」
「…戦争だ。お前が悪い訳じゃない。俺だって殺した。」

静かだ。
仄暗い部屋の中、窓から差し込む薄光が白々しく輪郭を浮かび上がらせている。

「ヒューズ、私は強くない。」

やっとヒューズを見たロイの口元が、不愉快に歪んで笑みを象る。



「消えて、しまいたいと、思った。」
「!」


戦場の、紅蓮の焔が焦がした、あの空に。

「焔の二つ名が、こんなに重いとはな。」

ロイの焔は圧倒的だった。
そしてそれに絶望したのは、イシュバールの民だけではなかったのだろう。

「想像はしていた。しかし…。」
「『想像は想像に過ぎなかった』?」

言葉尻を奪うと、彼は瞳を伏せた。
気持ちは痛い程わかってしまう。ヒューズだって同じだ。 しかもロイは、最前線にいた。 あの、焼け跡を見ただけで、なんとも言えない痛みを感じた、あの場所に。

「初めて、コイツが怖いと思ったんだ。」

ロイがすっと腕をかざして、指を軽く擦る。
散った火花は飛んでは行かず、不思議な事にロイの前で小さな焔となって浮遊した。 渦を巻くように揺らめく紅蓮。その中に、何の躊躇もなく手を差し入れた。 ロイは眉一つ動かさない。そしてゆっくりと取り出す。 燃ゆる揺らめきの中、それは確かにそこにいた。

真紅の皮膚に深紅の瞳。

体のあちこちに炎を纏っているが、その生物もロイも熱がる様子はない。 いや、生物と称していいのかさえ分からなかった。
だって、それは。

それは、伝説の中でしか生きられないはずの。

焔の中に住むと言われる火の蜥蜴、サラマンダー。


ロイは、愛おしむように目を炒めた。
ヒューズも初見の時はひどく驚いたものだが、今ではもう慣れた。 火蜥蜴が小首を傾げて、その大きな瞳をきょろりと回した。

「私のような者が、持つべき力ではなかったのかもしれない。」
「何言ってんだ。お前が無理に連れて来たんじゃねぇんだ。コイツ自身が、勝手に力を貸してるんだろ?」

伝説上の生き物は、ロイを気に入ったらしい。理由は分からない。 ロイは、運が良かっただけだと解釈している。
しかし運だけでは到底、伝説上の生き物と戯れる事など不可能だ。

「恐ろしく、なってしまった。」

反対側の手でトカゲを撫でた。サラマンダーは無邪気に甘えている。
予想を上回る焔の威力だった。一部の錬金術師以外は、まったく手に負えない程の。
そしてそれは、この火獣なしでは持ち得ない。
多くの命を奪った焔。
その重さを、初めて知らしめられた気がした。

「逃げようとしているのだよ。背負う事も出来なければ、忘れる事も出来やしない。」


いっその事、この罪深き業火に身を捧げてしまおうか。


「忘れろ…、とは言えないさ。」

たとえ、それが戦場であったとしても。

変わらない。
幾百もの人を手に掛けたという事実だけは。

「だが、…すべて背負え、とも言わない。」
「なぜ?」

ふぅと息をつき、戸惑うロイの為に答えを返す。

「お前に消えてほしくない。」
「何を…。」
「あぁ、これは俺の我が儘だ。たとえ、どんなにお前が罪深くても、それでお前が壊れるくらいなら、…背負うな。」
「そんな事、許されるはずが無い!」

ロイは怒りを露わにした。死者への冒涜のような気がしたのだろう。

「そうか?奪ってまで生き延びたくせに身の破滅を望む事の方が、余程、許されざる事じゃないのか?」
「…ぁ。」

トパーズの目が、じっとロイに向けられている。顔も声も責めてなどいない。 言葉にならなかった呼気が漏れた。





あの焼き付く空に消えてしまいたかった。




それでも。


それでも。


それでも。


「俺達には、やるべき事があるだろう。」

弱いままは、許されない。許したくもない。

「この国を、変えるために。」

ロイの手の中で火蜥蜴が踊る。その瞬間、ロイの瞳の奥に焔が付いた。 聖獣と、焔が共鳴していた。

「そうだな……、そうだった。」

何度も確かめるように頷くロイを見て、ヒューズはやっと肩の力を抜く。

こんな所でコイツを失う訳にはいかない。

先程かけた発破が、実は本心であった事を隠した。 ヒューズもまた、振り返ってはならないのだ。
この男の支えになると決めた、あの日から。


「マース、付いて来るな?」

ロイが振り返る。その目に、もう一切の曇りはない。

「当然。」

ヒューズは笑った。
そっと睫毛を降ろしたロイは、抱き上げたままだったサラマンダーの顎を撫でると、腕に抱き込むようにする。 火獣が一層焔に包まれ、まるでロイの胸元に滑り入るように消えていく。
美しかった。

いつの間にか日が落ちかけているらしく、斜陽が窓から忍んでいる。 窓際で、焔を抱き締めるロイを照らす。

夕日と焔に染められ、赤く、朱く、紅く。

あの日の空のように。
















「ロイ、逃げたくなったら俺を呼べ。」
「は?」

帰り際、ヒューズはポンッと言葉を放る。
的を得ることの出来なかったロイの間抜けな面に、笑い出しそうなのを堪えながら、

「俺が捕まえといてやる。」
「!」

ロイの面食らった顔に満足して、笑いながら踵を返した。

「その言葉、そっくりそのまま返してやるっ!」

後ろ背に投げ付けられた声に、更に笑みを深めながら。




end.





イシュバール戦後のロイとヒューズ。なんかアニメと被ってしまった感が…。(汗)
アニメ見る前だったんですよ、草稿の時。とまぁ、言い訳はこれぐらいにして。
これは、ヒューロイ……なのか!?(聞くな)
心持ち、ヒューロイ意識しました。すんません。だってよぅ!
戸惑った方もいらっしゃるとは思いますが、私の大佐はサラマンダーにとり憑かれてます!(笑)
あるサイト様でこの設定を読んでしまったら、そうとしか思えなくなりました。(アホ) 決して、公式設定ではありませんので、あしからず。でも、こうだったら素敵だと思いませんか? (同志、激しく求むっ!!)


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