21.シチュー



狡いと、思った。





久々に訪れた空間は、相変わらず愛用の煙草の匂いに染まっていた。
それに眉を顰めたのも最初の内で、今ではすっかり慣れている。
そんな自分を快く思うのさえ、なんだか滑稽だった。

いい年した男が、年下の部下に振り回されているなんて。


「大佐〜、俺の話聞いてます?」
「ちゃんと聞いている」
「嘘ですね。大佐は嘘つく時、瞬きの数が通常より数回増えます」
「なに…!?」
「冗談です」


嘘吐きはお前じゃないかと、眉に皺を寄せながらビールを呷る。

今日のハボックの機嫌は、かなり良好だった。
仕事帰りにロイが夕食を奢ってやっただけで、こうして尻尾を振ってくる。
これだから忠犬などと呼ばれるのだと、ロイは溜息をつきながら口元を緩ませた。

最近は仕事に忙殺されていて、二人で過ごす時間など一体何週間ぶりだろう。

何の気負いもなく、彼の部屋で酒を飲むのはロイのお気に入りだった。
そんなロイの心情に気づいているのか、いないのか。
ハボックは両足を投げ出して、ソファに持たれながらビールを飲んでいる。


「大佐?怒ってるんですか?」
「いや、別に」


ハボックは苦笑して、隣に座るロイの髪にそっと触れた。
漆黒の艶やかな髪は、ハボックの節くれだった男らしい手の間をすり抜けていく。
久しぶりの感覚に、なんだか背中がむず痒くなる。


「拗ねないでくださいよ」
「拗ねてなどいない」


ね?と微笑んでみせる部下に、上司は子供っぽく顔を背ける。
その仕草に、ハボックが微笑んだのが分かった。
妙に感じてしまう照れを隠すため、そのまま視線を彷徨わせていると、キッチンに珍しいものを見つけた。


「ハボック、あれはなんだ?」
「あれって、あれですか?」


指を刺すハボックに、神妙な顔をして頷く。
彼は怪訝そうに片眉を上げて答えた。


「…鍋、ですが?」
「そんなことはわかっている」


キッチンのコンロの上に置かれているのは、わりと大き目の深い鍋。
ハボックが意外にも自炊派なのは知っているが、それでも軍人生活ゆえに簡単な料理しか作れないという。
実際、コンロに鍋が乗っている図など今、初めて見たところだ。
ロイは、思い切り顔を顰めて呟いた。


「……女か?」


思った以上に苦々しくなった響きに、心の中で舌打ちする。
しかし、返ってきたのは間抜けな声だった。


「はぁ?俺に彼女いないの知ってるでしょうが。前にアンタに取られて以来、さっぱりと」
「じゃあ、あれは何なんだ」


皮肉りながらけらけら笑う彼に憮然として、指で指し示す。
妙に深刻になってしまった自分の意識を恥じりながら、それを巧妙に隠した。
笑いを収めた彼は、あっけらかんと言い放つ。


「俺が作ったんスよ。ちなみにクリームシチューです」
「クリームシチュー?」


不可解そうな音律で反復した様に、またハボックは苦笑した。
そしてぽんぽんと子供をあやす様に髪を撫でるので、ぴしゃりと手を叩き落とす。
この男は自分をちゃんと年上だと認識しているのだろうかと、ロイは思う。
それでもあの鍋の由来を知りたくてじっと見上げると、ハボックは意外な名前を口にする。


「大将が、好きなんですよ」
「…鋼の、が?」
「はい。エドの奴、筋金入りの牛乳嫌いっしょ?なのに、牛乳たっぷりのクリームシチューは好物なんだとか」
「…とんだ偏食家だな」
「同感です」


頷くと、ハボックも右手を上げてうんうんと頷いた。
しかしエドワードの食の好みと鍋が結びつかない。


「それをどうしてお前が作っている」
「食べさせようと思って。明日、帰ってくるじゃないですか、あいつら」
「は!?」


思わずコップを落としそうになり、慌てて両手で支えた。
その反応が意外だったのか、ハボックは軽く目を丸くする。


「あれ?伝えてませんでしたっけ?」
「聞いていない…」
「すみません。忙しかったからつい、言い忘れてたんですね」


乾いた笑いを零して誤魔化す部下に、これ見よがしに溜息をついて見せた。

最近、ハボックとエドが親密なのは知っている。
金髪同士だし、遠くから見れば年の離れた兄弟のようだった。

しかし、それにしてもハボックが食事を振舞うほど、エドが懐いているとは。

ハボックは人当たりも良いし、エドのことは弟のように可愛がっている。
おそらくエドがハボックに抱いている好意の意味を、この男は気づいていない。

ちりり、と、胸が焼ける。

能天気に笑う彼を見ながら、ロイは黒曜の瞳を伏せた。

狡いと、思ってしまった。
エドは子供だからというだけで、彼の中で優遇される。

じわりと胸の奥に焔が灯る。
それは焔の錬金術師にさえ操れない火。

分かっていながらそれを抱いてしまうことに、ロイは苛立っていた。

黒い思考を渦を巻き始めようとしたとき、軽い何気ない調子が遮って、ロイを思考の波から引きずり戻す。


「あぁ、大佐も食べます?結構多めに作ったんで、大佐の分もあると思いますよ?」

「食べる」


そのたった一言で、こんなにも自分は。

ロイはハボックに気づかれないように苦笑した。
それは本人が想像しているよりも、ずっと柔らかいものだった。





いつの間に、こんなにも。

たった一言で、舞い上がれるようになったのだろう。






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あとがき

勢いに任せて書いてしまいましたー。ハボロイ?ロイハボ?どっちでもいいや。(笑)
しかもエド→ハボロイっぽいですよねー。
2005.4.16 祭屋鳴子