月の裏側でさえ、容易に想像できる。
「ヒューズ」
「ロイ?」
そこにあるはずの無い姿に少しばかり驚いて目を見開くと、彼は朧げな空気を纏って近づいてきた。
いつのまにか誰もいなくなっていた仮眠室に、か細い靴音が響く。
慌てて身を起こして眼鏡をかけると、自分の目の前に立った親友の輪郭が薄汚れた背景にくっきりと浮かんで見えた。
「いつ中央に?来るなら来るって電話ぐらいしろよ」
水臭いじゃないかと笑って問えば、呆っとした濃藍の瞳が俺を見下ろす。
「今朝だ。最近デートが忙しくて、電話している暇も無かった」
「ほー、相変わらず大層おモテのようで」
「…ヒゲよりはな」
「ロイちゃんひどーい。俺だってモテないわけじゃあ無いんだが?何しろ、あんなに美人な妻と子を持てるくらいだからなー、はっはっはっ!」
「…………。」
一通りの慣習的会話を紡ぎながら、ロイは遠慮なく俺のベッドに腰掛けた。
その横顔は少し色褪せていて、空気に溶け出してしまいそうだった。
「今回は何の御用で?」
「査定だ」
「あぁ、そういえばそんな時期か…」
腑に落ちて一人頷いていると、ロイは唐突にくるっと振り向いた。
そして、そのまま…
───ぽふんっ。
「……おい」
こちらに倒れこんできた身体は、見事に自分とベッドの淵との間に納まった。
そのままロイは、もぞもぞと靴を脱いで布団に潜り込んでくる。
少しばかりの焦りが、自分の頬を僅かに染めた。
「寝るなら他のベッドに行けばいいだろう?」
「めんどくさい」
すっぱりと切り捨てた言の葉は、存外、重みが無く希薄だった。
僅かに眉を顰める。
「ロイ?」
「寝かせろ」
こちらを見もせずに、横柄に言い放ってロイは瞳を閉じた。
呆れたように、わざとらしく溜息を吐く。
そのまま数秒放っておくと、やがて緩やかに胸が上下し始める。
呼吸音さえ立てずに、眠りに落ちた親友を眺めて苦笑する。
「隈なんか作っちゃって、まぁ…」
さらさらと流れて顔を隠した黒髪を、そっと退かしてやる。
身じろぎ一つしない。深い眠り。
「焔の大佐は、大変だな」
ぽつりと落ちた感嘆は、不思議と仮眠室の薄闇に溶けていった。
ロイは月が嫌いだった。
何故と問うと、彼は曖昧な答えを返した。
ただ、その黒耀の瞳に複雑な色を乗せてただ虚空を見つめていた。
しかし、分かっている。彼が月を嫌うのは…。
彼が月に似ているから。
月は決して、裏側を見せない。
いつのまにか掛けていた毛布のほとんどは、ロイの身体を包み込んでいた。
それに気づきながらも、好きにようにさせておく。
半身を起こしたまま、彼の髪を撫でてみる。男の割りに滑らかな感触が指に心地よい。
「まったく、お前は似すぎているよ」
月に。
心中で付け加えながら、自然と口が綻ぶのを止められない。
裏側を見せないはずの月が、わざわざ自分の隣にやってくるのだ。
決して自ら語ろうとはしない。尋ねても答えない。
けれど。
月は、確かに、隣にいて。
それが意味するのは──。
指先から、伝わる、静かな、温もり。
「なぁ、ロイ?俺、調子に乗っちまうぞ…?」
囁いた声は、まるで睦言のように甘く、優しく、響いて浮遊する。
「月の裏側さえ、分かっちまうって、な」
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