ぺらぺらと。
わりと早いスピードで、書物の捲られる音が響いていた。
立て付けの悪い窓が少し開いていて、柔らかな日差しが差し込んでいる。その光の中で、わずかに粒子が踊るだけの静謐な空間。
そんな凪いだ空気に小石をそっと投じたのは、かちゃりと僅かな音を立てて控えめに開いた扉だった。
「大将〜?駅前のドーナツ屋で買ってきたぞー。好物だろ?」
「………。」
微動だにしない少年に、ハボックは別段眉を潜めることなく、彼に近づく。いつものことなのだ。
分厚い専門書から何かの報告書をまとめたものまで、様々な文献がくすんだカラフルに散らばっている。
「大将ー?」
本にかじりついている彼に普通の音量で声をかける。それでも反応は返ってこない。この小さな錬金術師の集中力は、外界と彼を遮断してしまうらしい。
その事を知らぬ者はこの司令部内にはいないので、無視されても何とも思わないが、そのかわり気を遣うこともしない。
ハボックは勝手に向かいの椅子に腰掛け、ほんのり暖かい紙袋を机の邪魔にならない所に置いた。
それから湯気の立つ紙コップを一つを傍に置いて、もう一つに口をつける。
さっき煎れたばかりの安いコーヒーはまだ熱かった。
そして静寂をとりもどした部屋に手持ち無沙汰になって、そっと相手を覗き見る。
僅かに開いた窓から滑り込んだ風が、彼の金色の髪を撫でた。
伏せられた瞳が金の睫毛に縁取られて輝きが透けている。
薄く開いた淡い暖色の唇が、時折何かを唱えるように声なき言葉を発した。彼はきっとその聡明な頭の中で膨大な情報を詰め込み、新たなロジックを組み立てているのだろう。
そういう所は自分の上司に似ているので、なんとなく察してやることができる。
「…相変わらずというか。」
あまりにこちらの視線に気付きもしないので、少しだけ呟いてみた。やっぱり応答はなし。
ハボックは彼の邪魔をする気はなかったし、ドーナツもコーヒーも後で食べてくれればいいと思ってる。
自分に気付かないなら気付かないで、勝手に休憩して勝手に観察して、出ていく気だった。
──でも、あまりにもあまりだよなぁ。──
「…エドワード」
「…………。」
なんとなく沸いた嫉妬心にぼそりと、あまり呼ばない名を呼んだ。
それでも相変わらずの彼を見て、なんだか急に恥ずかしくなったハボックは、コーヒーを飲んでそそくさと部屋を後にした。
「何やってんだ、俺」
──本に嫉妬かよ、カッコ悪ぃ。──
「アルー。これお前が買ってきたのか?」
もぐもぐとドーナツを頬張りながら、エドワードは散らかった資料を片付けている弟を見やる。
すると弟は「あぁ…」と呟いて、両手に資料を抱えたまま振り向いた。
「ハボック少尉だよ。」
「えっ!?」
「さっき廊下で会ったとき、『兄貴の方は相変わらずだけど、お前はどうだ?』って聞かれたから。後で少尉にお礼言いなよねー。」
──少尉が、来てくれてた?──
「あ〜〜〜っ、俺のばかっ!」
頭を掻き毟り、まだいくつかドーナツが入っている紙袋を引っ掴む。
「兄さん!?どこ行くの!?」
「悪い、アル!すぐ戻ってくっから!」
「え、ちょっと兄さん!」
アルの困惑した声を背に、エドワードは部屋を飛び出した。
──せっかくのチャンスに気付かないとか、バッカみてぇ。──
「少尉!」
「ぉわっ!?」
おもわず彼の背に、力いっぱい突撃した。
|