古びた紙と、インクの匂い。 どこか薄暗い、静かな空間。
いろんな街を見てきたけれど、こういう場所は大抵、同じような空気を纏っている。
図書館とは、そういう所だ。
その一角に陣取って、誰も寄せ付けないような雰囲気を放っている者がいる。
いや、寄せ付けないというのは、語弊があるかもしれない。
彼が居るのは分厚い専門書ばかりが並ぶ、図書館の奥の奥で。
大人でさえあまり近づかないような難しい専門書ばかりあるのだから、人気が少ないのは当たり前。
そんな子供に似つかわしくない場所を、我が城と言わんばかりに占拠しているのは、
エドワード・エルリック、「鋼」の二つ名を持つ国家錬金術師。
何やらブツブツと呟きながら、パラパラと手する本のページを捲っていく。
うず高く積まれた本の間で、その小さい…失礼、同世代の標準身長よりちょっと低い身体を埋もれさせている。
そしてその隣で同じように本を漁っているのが、弟のアルフォンス・エルリック。
鎧と豆のデコボコ兄弟は、今日、丸1日、文献探しに当てていた。
しかし、そこまでしたって、必ずしも成果が上がるとは限らない。
「あ゛ーーーっ、これもハズレかよ!」
持っていた本を放り投げ、エドが足を投げ出した。
それに慌ててアルが鎧の口に人差し指を当てる。
「ちょっと兄さん!声が大きいよ。」
「だってさ〜、どれもこれも似たような記述ばっかり。目新しいモンは何も無し。」
「仕方がないよ。そんなの今に始まったことじゃないんだし。」
「そりゃそうだけど。今日は特に、なーんにも無さすぎる!なんか腹立つ!」
文句ぐらい言わせろ、とエドが喚く。アルは、乾いた笑いをするしかなかった。
ふと窓を見ると、もう夕日に染まりつつあった。
もう、そんな時間だったのか。本当に丸1日使ってしまった。
どうにも探し物をしていると、時間感覚がなくなってしまう。
書物を読み出したら外界をシャットアウトしてしまう兄は、当てにならないし。
「くっそー、こうなったら徹底的に探し尽くしちゃる!」
「兄さん、もう夕方だよ。」
「え?マジで?」
変に意気込むエドに、アルが待ったをかけた。
案の定、エドは現在の時刻を認識していなかったらしい。
そういえば喉も渇いているし、腹も減っているような。
そんな兄の様子に苦笑したアルは、
「ここは僕が片付けておくから、外の空気でも吸って来たら?」
「んあ?いいって、俺も片付ける…。」
「いいから!兄さん、昨日だって徹夜したんだろ!」
「大ー丈夫だって。俺がそんなにヤワじゃねーの、知ってるだろ?」
「…兄さん、あんまり言うこと聞かないと、明日の朝食に牛乳つけるよ?」
キュピーン。
鎧の奥の目が光かったのを、エドは確かに見た。
「ったく、兄を脅迫するなよなー。」
見事、アルに追い出されたエドは、図書館の脇にあるベンチへどっかりと座り込んだ。
ふぅっと、深く息をつく。
確かに体は疲労を訴えていて、エドは背もたれにだらしなく傾れかかる。
さっきまでフル活用だった集中の糸は、ぷっつり切れてしまったらしい。
ぼうっとまとまらない頭で、通り過ぎる人波を眺める。
オレンジに変わっていく街は、家路を急ぐ人々で結構賑わっていた。
「ママー!見て見てー!」
ぽんっと、甲高い子供の声が耳に飛び込んできた。
なんとなく気になって、声のした方を見る。
そこには母親らしき女性に駆け寄っていく、小さな男の子の姿。
両手に、何かを大事そうに抱えている。
「僕が作ったんだよ!すごいでしょ!?」
「あら、上手にできたわねぇ!」
「!」
はっとしたように、エドの瞳が見開かれる。
似ていた。
あの頃と。
思い出すのはいつだって、穏やかで優しい笑顔だった。
自分達が作った物をいつも褒めてくれた母は、いつも微笑みを絶やさない人だった。
特に二人が好きなのは、玄関先で見せてくれる笑顔。
優しく見送る「いってらっしゃい」。
暖かく迎え入れてくれる「おかえりなさい」。
そう、だから、運命のあの日も。
二人は、あの笑顔を、取り戻したかっただけ。
二人が家を焼いた日。
燻る炎を背にした瞬間、エドは思わず立ち止まってしまった。
母を失ってから数年、今になって痛感した。
今まで取り戻せると思っていたから、何も感じずにいられたんだろう。
もう、「いってらっしゃい。」は聞こえない。
取り戻せなかった。ギチリ、と、機械鎧が嫌な音を立てた。
いつのまにか、アルも同じように立ち尽くしている。ガシャリと、頭を垂れた。
二人は、一歩が踏み出せずにいた。
どうしようもなく不安に襲われる。
覚悟は、していた。
決意は、揺らぎようがない。
けれど。
けれど。
けれど。
今度は、取り戻せるの…?
「行っといで。」
「「!」」
振り返る。
強い眼差しで見つめているピナコと、必死に泣き止もうとしているウィンリィ。
驚いた間抜けな顔のまま、エドとアルはどちらともなく顔を見合わせた。
ニッとエドの口角が上がる。
そして、
「「いってきます。」」
「…─ん、…─いさん?兄さんってば!」
「んぉ!?」
いきなり耳に叩き込まれた大声に飛び起きると、弟の呆れた顔。
「もー、こんな所でぼーっとしてると風邪引くよ?」
「アル?何、片付け終わったのか?って、げ、もうこんな時間!?」
「とっくに終わったよ。いつまで経っても戻ってこないと思ったら…。何を考えてたのさ。」
「んー?ちょっとな。決意の再確認をな。」
「はぁ?」
「さーて、腹減ったなぁ!飯食い行くぞ、アル!」
「あ、ちょっと待ってよ、兄さーん!!」
後ろで、訳がわからないまま付いてくるアルを尻目に、エドは笑った。
「いってきます」は約束の言葉。
“行って”、帰って“来る”。
今はまだ、二人の旅路に終りは見えないけれど。
必ず、必ず。
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